Text by Jun Yokoyama
UKのアーティストを多数フィーチャーしたDrakeの『More Life』で2曲客演した南ロンドン・ペッカム出身のラッパーGiggs。2000年代後半からUKのラップシーン、そしてグライムシーンにも大きな影響を与える彼について日本語で「南ロンドン出身。XL Recordingsと契約したラッパー」以上のことを知ることは難しい。グライムの盛り上がりにつれて、グライムについては多くのメディアが取り上げ始めたが、Giggsに関しては熱意ある少数のUKラップファンがTwitterで話題にしてきたのみで、メジャーのメディアが彼を特集することはなかった。
昨年8月Giggsがリリースした4枚目のスタジオ・アルバム『Landloard』の発売日には、UKのラッパーStormzy、Skepta、JMEらが率先してGiggsのアルバムのプロモーションを行い、The WeekndもTwitterでシャウトアウトを行った。インディー・レーベルからリリースされた『Landloard』はUKのチャートで異例の2位を記録した。
Drake『More Life』にフィーチャーされ、Giggsへの注目が世界中から集まる2017年ーーーそれはUKから遅れること10年、日本でもGiggsについてまともに取り上げなくてはいけない時期が来た。
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1983年生まれの南ロンドン、ペッカム地区出身のGiggs[1]不適切な状況でもくすくす笑う(giggle)ことから。子供の頃のあだ名。は16歳で高校を中退。ラッパーとして活動する以前は、ペッカム地区で活動していた黒ギャング、ペッカム・ボーイズの一部であるSN1(Spare No One/エス・エヌ・ワン)というギャング・チーム(set)として活動を開始する。Giggsは14〜15歳から、ペッカム・ボーイズに入っていた奴がベルサーチとモスキーノを着ていて羨ましく感じ、そして「母親を金銭的に助けたいとの思いで、ペッカム・ボーイズの下っ端として活動を開始する。しかし強盗や窃盗でたびたびGiggsは逮捕される。
ペッカム・ボーイズは隣接するルイシャム地区のGhetto Boysと過激な抗争を繰り広げた。その両者の抗争に代表される「若者のギャング化」は2000年代からイギリスの都市部の社会問題として取り沙汰されていた。10代の若者が白昼路上でドラッグディールを行い、抗争で命を落としていた。筆者がロンドンを訪れた2006〜7年にもギャングの抗争が激しい場所が地図に色塗りされ、画像としてインターネットで出回っていた。しかし、彼は2003年に銃を所持していた罪で逮捕され2年間獄中で過ごすことになる。
刑務所に入るまではDJをしたり、UKガラージの上でラップしていたGiggsは2004年頃からシカゴのBUK (of PSYCHODRAMA)のラップに影響されラップを本気ではじめるようになった。それ以前にUKでラップと言えばLondon Posse, Rodney Pなどが活動していたが、Giggsによると「Gangstarapではなく、UK HIPHOPだ」とのことだ。Giggsがラップの聞いた友人が「誰もおまえのラップを聴くことはないだろう」と言われていた。
Giggsは2004年に出所。ストリートのギャング活動から足を洗おうと思ったが、周りはリーダーのような目で見られ、弟もギャング活動を始めていたため、またストリートに戻る。もちろん銃の所持で前科があったため仕事を見つけることも難しかった。仕事をしようと、ユースクラブと呼ばれる児童館でボランティアをしたものの、ボランティアであったため長続きしなかった。
ストリートに戻ったGiggsはストリート稼業の傍ら、ストリートに聴かせるためだけのハードなラップを制作。2008年までの間にミックステープ『Hollowman Meets Blade』、『 Welcome to Boomzville』、『Best of Giggs 1』、『Best of Giggs 2』、『Best of Giggs 3』、『Ard Bodied』を続けざまにリリースする。
数年後の2007年にはGiggsの名前はUKロードラップ/グライムシーンにいるものには避けて通れないほどになっていた。Dr. DreがStat Quoに提供した"Here We Go"のトラックをジャックしGiggsは"Talking Da Hardest"を発表。家で、クラブで、車のステレオからこの曲が流れない日は無くなった。銃、ドラッグ、ギャングの日常のテーマがGiggsの震え上がるような低い声でラップされる。ひるみあがるようなギャングの生活を描いているにも関わらず、Giggsのリリックのクレバーさ、ブラックユーモアのある描写はラップファンはもちろんのこと、それ以外の音楽ファンをもひきつけた。
Half of the crowds all snorting my Charlie
クラウドの半分は俺のチャーリー吸ってるぜ
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2008年にインディーレーベルからスタジオ・アルバム『Walk in da Park』をリリースしたGiggsは、2008年のアメリカのブラック系音楽アワードBETにて、グライム黎明期から活動し円熟味を増していたSkepta、Wiley、Dizzee Rascalや若手Chipmunk、Ghettsなどを押しのけBest UK Actを受賞する。
(左: Ghetto、右:Giggs)
2003年にアンダーグラウンドで活動していたグライムMCのDizzee Rascalと契約し『Boys in da corner』「フッド」をオーバーグラウンドの舞台に押し上げてた独立系メジャーレーベルのXL Recordingsは2009年にGiggsと契約。XLからリリースしたセカンド・アルバム『Let Em Ave It』はUKのチャート35位にランクイン。ラッパーB.o.Bをフィーチャーし、ボーナス・トラックにMike Skinnerとコラボするなど話題になった。XL Recordingsと契約のきっかけはThe StreetsのMike Skinnerだった。GiggsはMike Skinnerと楽曲"Slow Song"を制作し、それをきっかけにXLがGiggsと契約したがるようになったということだ。GiggsはEMIからも契約を持ちかけられていたが、Mike SkinnerがXLを仲介し、より高額の契約金を提示したXLとGiggsは契約した。
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セカンド・アルバムをリリースした後、Giggsはグライムシーンの中心的グループBoy Better KnowのWileyとSkeptaと続けてコラボレーションを行っている。Giggsは南ロンドンで、Skeptaは北ロンドン、Wileyは東ロンドンを代表するアーティストであり、地元の若者から一目置かれる存在だ。それはロンドンのストリート地政学から見ても驚きのコラボレーションだった。当時のギャングの抗争は「Postcord War」と呼ばれ郵便番号のエリア同士でギャングたちが争っていた。"Zip It Up"はWileyの6枚目のアルバム『Race Against Time』に収録され、"Skepta feat. Giggs - Look Out"はSkeptaの『Microphone Champion』に収録されている。地域を超えてお互いを音楽で讃え合い、ストリートの若者に音楽という新たな希望の光をみせた。
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アンダーグラウンドとオーバーグラウンドで独自の地位を確立し、二度目のMOBOアワードのノミネートの名前にも上がっていたGiggsだが、2012年2月、友人の車に乗っていた際、警察に職務質問を受け銃の所持で再び逮捕される。裁判が開かれないまま半年間勾留の目にあった。友人はトランクの中にあったその銃を自分のものであると主張したが、以前にも同じ罪で逮捕されているGiggsを目の前にして警察はその銃をGiggsのものと断定したのだ。
さかのぼること2010年、Giggsはアルバムのリリースツアーをバーミンガム、ロンドンなどで予定していたが、警察が「潜在的なリスク」を理由に公演をキャンセルするようにうに会場に圧力を掛け、ツアーがキャンセルされた事件もあった。さらに2009年、警察はXL Recordingsに対してGiggsと契約しないように介入工作を行ったことも公表されている。このGiggsに対する警察の圧力は「Operation Trident」と呼ばれるロンドン警察の銃対策やギャング対策の中で行われてきた。Giggsはインタビューでたびたび「音楽を始めた時からずっとこうだ」と語っている。
2012年後半、逮捕されて半年後、Giggsは無罪を言い渡され、釈放された。
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釈放後、Giggsは自身のレーベルSN1を立ち上げ、2013年にはミックステープ『Best Of Giggs 4』を発表した後、3枚目のアルバム『When Will It Stop』をリリースする。XLを離れ、Giggsは自身の道を歩むが、それは後退ではなく、より困難を含むが大きなチャレンジへの道となった。『When Will It Stop』はUKチャートの自身最高位21位を獲得する。
本作ではSN1のチーム以外にもプロデューサーを起用。2015年にブルーノ・マーズとコラボしたマーク・ロンソンやアメリカのプロデューサー・グループJ.U.S.T.I.C.E. Leagueなどがクレジットに並んだ。リリック面ではより内省的なものも増え、自身の息子には自分と同じ目には合わせないという希望も語られている。
また本作品にはUKチャート上位の常連であり今年初週売上の記録を塗り替えた、ラップファンでStormzyとの関係も深いEd Sheeranもサプライズフィーチャリングされている。
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しかし再びGiggsの活動は再び警察によって危機にさらされることになる。2013年、サード・アルバムのリリース・ツアーを数日後に控えていたGiggsはYoutubeでツアーのキャンセルを発表し、ファンに謝罪した。2010年の時と同じく警察はGiggsをターゲットにし「リスクの観点」から会場に公演を取りやめるようにプレッシャーをかけたのだ。しかしGiggsは口を大きく開け、不敵な笑みを浮かべ、謝罪ビデオを締めくくった。
ライブという方法を奪われたGiggsはグライムのアーティストのショーに神出鬼没のサプライズ出演という方法でステージに登場し、ファンの前に姿を表した。グライムラッパーのChip、JMEのショーに登場するとファンたちはそのサプライズ出演の様子を動画で撮影し、熱狂した。
Giggsは2014年にBBCを通じて声明を発表。「警察には感謝しているよ。警察はすばらしいプロモーションを自分のためにしてくれている。公演のキャンセルは自分により力を与えてくれる」と語っている。
2015年にBoy Better Knowに所属するSkeptaの実弟JMEのアルバム『Integrity』に収録されている"Man Don't Care"で客演すると、2015年のクラブやフェスアンセムとなり、ソロステージは叶わないものの、至る所でGiggsの圧倒的な存在感を見せつけた。
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そして2016年には4枚目のフル・アルバム『Landlord』をリリースする。昨年行われたSkeptaのワンマンライブにもGiggsはサプライズ出演し、収録曲"Whippin Excursion"を披露。GiggsはSkeptaのお株を奪うほどの盛り上がりを見せたとさまざまな人が証言している。 『Landlord』に収録されているYoungs TeflonやAystarなどの若手をフィーチャーしている"The Best"も聞き所だろう。
そんな苦難の道を歩んできたUKラップシーンの至宝と言っても間違いないGiggsをDrakeが放っておくわけがない。Drakeはお気に入りのSampha、Skepta、Jorja SmithらUKアーティストにスポットライトを当てたが、Giggsには『More Life』の中で2曲フィーチャリングの枠を設け、特別な地位を与えているように見える。
ポップス、アメリカのラップを聞いてきたファンにはGiggsのフローはつまらないものに聞こえるだろう。Giggsは一貫して低い声で、淡々としたモノトーンのようなフローをかます。リリックもユニークなも内容より、正確な描写が多い。アメリカの「ユニークなフロー」に慣れたリスナーにとっては物足りなさを感じるだろう。彼は2000年代以降のUKのストリートの生々しいリアルライフをラップし続けている。だからポップの誘惑にかられる、UKラップ、そしてジャンルは違えどラップ・ミュージックのグライムのアーティストたちにとって、Giggsは心の拠り所、もしくはどこから来たか、どこにいたかを思い出させてくれる存在なのだ。Giggsはそもそも「UKでギャングスタラップなんかしても誰も聴かないぞ」と言われ続け続けながら「そんなこと構いやしない。聴くやつが聴けばいい」と言い放ち、ストリートでラップを続け、今や数千万人の耳に届くようになったのだ。
BBC Radio 1と1Xraで新進気鋭のラッパーを紹介する、ラッパーの登竜門的番組のホストCharlie SlothはGiggsをこう語る。
Giggsは私たちの世代の最重要アーティストの一人だ。彼は妥協なく、アーティストとして金のために何か物事を捻じ曲げるようなことはしない。時代を超えた音楽を伝える真のアーティストだ。 Charlie Sloth
MAN COPPED A SAMURAI UMBRELLA?
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『More Life』を一通り聴き終えた後は、Giggsのバックカタログに耳を傾けて南ロンドンのストリートの空気を感じてみてはどうだろうか。
Giggs: If you're talking the hardest, Giggs better pop up in your thoughts as an artist!
The Whole of the UK: JHEEEEEEEEZEEEE! pic.twitter.com/buGPEmKemf
— DJ Skadz (@SkadzySoprano) March 19, 2017
脚注
↑1 | 不適切な状況でもくすくす笑う(giggle)ことから。子供の頃のあだ名。 |
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