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西村浩平 (DIGAWEL) × 芳賀陽平対談 | ファッション/ムービーについて

DIGAWEL

西村浩平がデザイナーを務めるブランドDIGAWELが、2017SSシーズンのためのムービーをYoutubeで公開した。制作したのは映画『Tropical』の監督でmitsumeのミュージックビデオも制作している芳賀陽平だ。このムービーはいわゆるブランドが作ったファッションムービーというカテゴリーのものではあるが、冒頭のシーンから、DIGAWELのアイテムを身にまとった出演者の姿は、遠くに映し出され、その服がどのようなものかは判別ができない。はたしてこの14分強の映像はファッションムービーなのだろうか?という疑問が湧く。

DIGAWELの2017SSのテーマは【MOVE】、そしてこの言葉の周りにa gangster movie,Western John Fordなどの映画にまつわる記号も浮遊している。こうしたテーマもこの映像が作られた背景にはありそうだ。

そこでDIGAWELのデザイナーである西村浩平と、このムービーを撮影した芳賀陽平に、この不思議な映像が撮られた背景を聞いた。

取材・構成 : 和田哲郎

 

 

- DIGAWELでこういったムービーを作るのは何回目になるんですか?

西村 - 正確には今回が初めてなんだけど、すごい昔に他の人のクリエイションで DIGAWELをコマーシャルにしたいっていう企画があって、1回ムービーはあるけど、それは基本ぼくはノータッチで、だから2回目だけどDIGAWEL発っていうのは初めて。今回ムービーを作ろうと思ったのはテーマが【MOVE】だったというのが1つ、もう1つは単純に洋服のプレゼンテーションって、ランウェイってあるじゃないですか。洋服って人が着て動いた時に、一番美しいものだから、そこも収めたかったという2つですね。

それでペタ(芳賀)くんと打ち合わせして、ファッションムービーって誰が見るの?っておれは気がしているから。すごい微妙なポジションにあるっていうか。例えばC.Eさんがやるのは面白いと思うし、プレゼンテーションとして機能はしてると思うんだけど、おれもその他のファッションブランドのムービーを見たことがないっていう。よっぽど興味がある人以外はクリックしないじゃん。今回はそもそもInstagramのムービーを前提に作っていて、それはなんでかっていうとおれとペタくんで撮ったとしても、世の中の人から見たらファッションムービーのカテゴリーに入ると思うのね。大きい括りとしてはそれでしか見られないだろうから。Instagramって動画は自動再生だから、その構造を利用したくて。PCでムービー見る時って再生ボタンを押さなきゃいけないけど、Instagramはそれがないから。じゃあそれを5秒とか7秒とかなら見てくれるんじゃないかっていうことで、そういう新しいプラットフォームへのチャレンジも含めてやりたかった。

- そのオファーを受けて芳賀くんはいかがでしたか?そもそもファッションムービーに興味はありましたか?

芳賀 - 自分たちくらいの世代だとPAMのムービーとかはすごい流行ってたし、あとSupremeとか、Adam Kimmelのスケートしてるやつとか、そういうのはすごい見てたけど、SupremeとかC.EとかPAMってストリートカルチャーがベースにあるもので、その引用をDIGAWELのファッションムービーに落とし込めるかというと、関係ないなと思って。自分も別にストリートカルチャーがベースにある、根っからのそういう人間ですってわけじゃないから。じゃあなんだろうって言って、西村さんから【MOVE】ってテーマで映画とかについて話して、目で見てわかるっていうのがすごい重要だよねって話とかになって、ファッションのムービーをがっつりはやったことないし、どんなのができるんだろうなってのは思いましたね。

実際出来あがったものがいわゆるファッションムービーって括りに入るものかっていうと、西村さんが言ったように、ブランドのプレゼンテーションとしてはファッションムービーであることは間違いないんだけど、いわゆる広告的な意味合いが強いかっていうと出来上がったものは、そういう風には見えない。なんでかっていうと服がほとんど見えないみたいな暗い瞬間もあるし。でも撮影現場にも西村さんがいて、撮ったものを見せていく中で、「もっとちゃんと服を見せて欲しい」っていうのがほとんど出てこなかったから、無意識的なところではあると思うけど、それでも広告としていいんじゃないかっていう提案、これをファッションと呼んでみようっていうものになっている。それを映画の引用を使ってやってみようというコンセプトの実作業のところにおれが立ってるという感じ。でも今回はなんで【MOVE】ってテーマなんでしたっけ?

西村 - 映画を1日3本くらい見るっていうのを自分に課してて。映画のこのシーンがなんか良いっていうのあるじゃん。でもそれを説明ができなかったりするし、ちゃんと説明ができるように、ここで1回見とこうと思って、まとめて見たんだよね。でその面白さにどんどん引きずり込まれていって。それでこのテーマでやってみようかなって思って。全部を説明できるようになるのは無理なんだよね。でも輪郭をわかるのは大事で、ほったらかしはダメだなと思うんですよね。実際見て、和田さんはどう思った?

- 僕がすごい印象的だったのが、最初の俯瞰のシーンで、あのシーンはファッションムービーというよりは映画の始まりを思わせるシーンで、それはすごい印象的でしたね。僕とペタくんは蓮實重彦を読んでたりとかの共通点があって、それでこれは映画的なことをやろうとしてるんだろうなってのがわかったり。実際キーワードとして出た映画ってどんな作品や監督がありましたか?

西村 - うんいろいろあったし、蓮實先生の話も当然したし、撮影云々って前にお互いが思ってる、映画、動画がどういうものかっていう考え方で同じく共通するものがあったから、正式にお願いした。実際ジョン・フォードしかりハワード・ホークスしかり、いろんな話をしたけど僕らが思う映画としてきっちり成立してるものの話だったよね。

芳賀 - そうですね、それと今ジョン・フォードやホークスをガチでやるっていうのは物理的にできないっていうのもあるし、映画もそれから変遷してるわけじゃないですか。その変遷に対して原理主義じゃないアップデートした見え方にしたいなと思ってて、最後のカットは画角の問題じゃなくて撮り方として、2000年代以降はハリウッドでも当たり前のように手持ちカメラを使った撮影が増えてて、そういうものを雑に真似するみたいな。今回の作品は映画じゃないから、映画史を映画でどうこうしようってことでもなく、映画史をファッションムービでやろうってことでもなく、【MOVE】っていうテーマがどこから来てるかを明示するきっかけになるようなことをいっぱいやろうよってことだったんですよね。

西村 - ペタくんに対して僕から注文した中で、映画ってものを構成する、6~7個のぼくが思うポイントをあげて。例えば動物を出したいとか。映画を映画たらしめてるものだけで構成してみるってプランニングだったよね。難しいんだけどね、それを出す意味がわかってくれる人じゃないと撮れない話じゃん。全く無意味なインサートをしてもダメだし、みんながやってるからなんとなくやっても違うし。ぼくが思うそういうポイントをきっちりやったらどうなんだろうっていう。あれは確かに映画っていうよりは動画なんだけど。

芳賀 - お話っていうよりは、そういう様相を撮っていこうという感じに近かったですかね。おれは風がワーって吹いたらそれは撮らなきゃいけないなとか、傘をさしてるシーンでは、傘がバタバタしてるからそれを撮ってほしいってカメラマンに伝えたりとか。

西村 - もう服ですらない、はははは(笑)

芳賀 - ドキュメンタリー的なリアリズムではなくて、嘘をいっぱいやりたいな、本当じゃなくていい、作り物でいいなっていう。雨のシーンでいえば、男が車から出てくるカットがあるんですけど、男が車から出てきて正面から照明が当たっているんだけど、次のカットで背中のカットはガンガン照明当てちゃうぞみたいな。映画的な都合の良さを活かしたかった。嘘でいいって。本当っぽいことに固執する人が、たくさんいるなと思ってるんですけど、出てる人が実際生きてる人間なわけだから、あとはそんなに本当っぽさみたいなのは重要なことではないかなって。その人自身に生きてきた痕跡があれば、そこをさらに強調する必要はないのかなって。

- その中で DIGAWELの服がすごいシーンにハマってたなと思ったんですよね。それはある意味当然なんですけど。

西村 - それはとても嬉しいことで、今回それがテーマだったんですね。要はああいうムービーを撮ったときに、洋服だけ浮いてるってなるとおれがやったことは全く無意味だったって話だから。ペタくんが言った、原理的な部分を意識しつつも、そこのアップデートみたいなことをやりたかった。古い映画の衣装の機能があって、そこを現代に置き換えたときに、こういう洋服なんじゃないかと思って作ったからさ。わかりやすく西部劇とかギャングスタームービーってジャンルは挙げてるけど、例えばジョン・フォードの『駅馬車』でもいいんだけどさ、ドンパチやるのって最後のシーンだけじゃん。でわかりやすい西部劇ってマカロニウェスタンの方だよね。言葉にしたときって、言葉って強いから走っていくからしょうがないんだけど。

芳賀 - 強い引きがある言葉がたくさんあった中で、わかりやすくホークスとかを改めて観たりしつつ、今回撮られたものにじゃあ100%原理主義で撮るぞって人が撮ったかというと、そういう風にはなってないというか。それを2016年に撮影をやるって上で、その現実的なすり合わせに戸惑ってる人が撮ってるというか。

西村 - いいことだね。

芳賀 - なんでかっていうと、やっぱり自分が好きで観てきた映画が、ハリウッドのある時期までしか認めないぞっていうと、全くそんなことはなくて。そこで、これもいいし、あれもいいしって状況の中で、そこであがいてる感じがすごいしますね。自分がこれまで撮ってきたもの全てがそうかもしれないですけど。これはやっちゃダメだっていうのはわかりつつ。だからやらなかった演出もあって、最後のシーンの話だとフェリーニっぽくなっちゃうとかあったじゃないですか。

西村 - 『8 1/2』で最後結局みんな出てきてってオチね。

芳賀 - そういうオチを思いついたんだけど、自分でパッと思い付いてテンション上がって最初やろうって言って、撮影部に「すごいいいプランだけど、フェリーニとかやろうとしてるんですか?」って言われて、「あ、そっか、それはいかん」と思って。よくないわけではないんだけど、今回の選択肢としてはなかったかな。作品としても違うかなっていうのはありつつ、自分としても裸で人前に出るって気分になるんですよね。それをやると「あ、お前こういうの好きなんだ」みたいな。そこをバラすタイミングではないかなと。

西村 - 今ペタくんが言った、いわゆる検閲があったときの映画やその後のハリウッドの映画例えば『バックトゥザフューチャー』でもいいんだけど、そういうのを僕らも通ってきてる。大事なことって原理主義とは言わないけど、歴史の上にしか成り立てないものっていう認識があるかってことが大事なんだよね。そこがなくて芸術性みたいなことを言われると、「ん?なんのことですか?」って話になっちゃうから。そこには批評も存在できないし。ペタくんを選んだっていうのは、そこでもがき苦しめるからだし。僕も洋服を作っててもそうなんだよね。洋服の歴史みたいなものの上で、いったい何をするべきかとか、その方法がすごい大事なことだから。

- ファッションも映画もすごい歴史を積み重ねてできているもので、全く新しいことをやるのは難しいですよね。でも何も踏まえないことで、全く新しいと言い張る人たちもいるじゃないですか。でもそれは実は新しいことじゃないんですよっていうのを、そこを2人とも踏まえてるのかなという気がしたんですよね。

西村 - それが今なんじゃないかなと思うし、特にストリートの動きだったり、ヒップホップの動きだったり、そういう世代の論争とかもあったりしたじゃん。でも流行の先にギアを上げていくためには、歴史を認識しながらいくべきではないかと思うし。おれは映画の関係者の人とか、あんまり知らないけど、意外にペタくんがやろうとしてること考えてることをわかってない人が多いだなっていうのがわかった。なんとなく絵の質とかを褒められたりはあるけど、それを形成するものが何にあるかとかを実際そんなになんだと思って。

- ファッションではいますごいわかりやすい引用ゲームみたいになっていますよね。Vetementsなどを代表に。西村さんはそういったわかりやすい引用からは離れてらっしゃると思うんですがいかがでしょうか?

西村 - 全体的にそういうのをやってしまうと、つまらないっていうのがあるけど、ある部分においてそういうのを象徴的に使う表現をするっていうのはあるかな。いままではモードの世界ではそういうのが少なかったから、傾向としてはぼくは悪くない傾向だと思う。それをすることによってファッションのゲームがフラットになるから。フラットの中に、何を築いていくかが次の課題になっていくわけじゃん。ああいう風にバンバンやられるとさ(笑)

- 確かにそうですね。ゲームのサイクルが早くなってる気がしますよね。

西村 - でもそれはヒップホップのゲームもそうだし楽しいよね。

- 既存のファッションムービーにあまり惹かれないっていうのはなぜですか?

芳賀 - 例えばソフィア・コッポラの姪っ子のジア・コッポラがOpening Ceremonyの映像をやってて、それはジア・コッポラの世界観でやってて、そういうディレクターの世界観と地続きの感じでやってる作品があまり少ないような気がすごいする。特に日本のブランドのはそうかなと。あまり映像作家的な人がやるのが少ないからかもしれないけど。C.Eの伊藤高志さんがやってるやつは、実験映像をやってきてる人が作った感じはしたけど。あとは今回の DIGAWELもそうだしC.Eのスケシンさんもそうだし、SupremeやPAMのチームもそうだし、こういう映像をやりたいよねっていうのが明確な人の作品を見たくなるなって。

 

でも多くのブランドはファッションムービーですってやっても、綺麗なモデルが綺麗な服着て、それっぽい場所で岩場とかにいるみたいな。そういうのよりPAMとかC.Eとかのは見ると、何これってなると思うんですよね。そうじゃなきゃあんまり残らなくて既視感もあるなって。今回のは服が見えてないシーンとかもそうだけど、なんかずっと不穏な感じがするし。それは西村さんに「不穏にしてくれ」って言われたわけじゃないんで、自分がそういう風に見える瞬間が好きだっていうのはあると思うんですよね。

- どこか黒沢清っぽいモードがあるなって感じるときはありましたね。

芳賀 - 確かに誰々っぽいって言われることがあるのは80~90年代にデビューした人が多くて。自分としてはカウリスマキみたいなのがやりたいなと思ってるんですけど。『真夜中の虹』って作品が好きで。自分は88年生まれだから90年代の映画をガンガン見てたかというと、あんまりみてないんだけど、なんかでもムードとしてあるのかなって。渋谷でBOYって服屋やってるトミーってやつがいて、そいつとかとも話してて、90年代の終わりの世紀末な感じを、自分の店でもやりたいって言ってて、リバイバル的なものとは違って、常に世紀末な感じがあって。ゆるふわギャングをみてザワザワする感じも90年代っぽい感じがするんですよ。プラスチック感があって、不穏さがあるんだけど空騒ぎっぽい感じに近いものがするっていうか。

ぼんやり覚えてる90年代のドラマもそういうのが多かったな。小学生くらいに火曜サスペンスの再放送をやってて、そのストーリーがいじめられてる女子中学生か高校生がいて、トイレの上から水をかけられたりとか、通気口からピエロが覗いてたりとか超怖いなっていうのだけを覚えてて。色々経て映像撮ろうってなったときに、最後のシーンでフェリーニっぽいことをやろうってならなかったのは、批評的な撮り方をことさら強調しなくてもいいっていうか。2017年になにかを作る人は必然的に批評的な感覚を持っちゃうと思うんですよ、でもことさらそれをやりたくないっていうか。最近自分の中でハッとしたのが、Sum41を聴いたときで、最高だなと思って。Sum41とOffspringを聴いて、こういうのだって。テンションとか気分として明快じゃないですか。それが自分の中ですごいリンクした感じはあった。

 

西村 - でもそれってさっきの話につながるよね。

- 今だとLil Yachtyを聞くとすごい明快というか爽快な感じが僕はしますね。でも日本の若いアーティストはすごい理論武装していて、批評的すぎるんじゃないかと話を聞いてたりすると思うんですよね。

西村 - 今回の話とはあんまり関係ないけど、音楽がネットに流れるってことと、密接に関係しててさ、理論武装された言説を強調しないとやっていけないって思っちゃうんだろうね。

芳賀 - 多分作り物感がすぐバレちゃうから、しっかりした形で見せたいっていうことになるんだろうなと。

- DIGAWELの洋服はもちろん歴史とか踏まえて表現してるんですけど、抜けがいいものというかノーガードなものが出てくるのが面白いなと思うんですよね。例えば今回だったらFrank Oceanだったり。

芳賀 - 「Frank Oceanのアイテムをなんで作ったんですか?」って西村さんに聞いたら、「Frank Ocean良かったから」って言われたから。今回のムービーでハリウッドの黄金期の批評的な捉え方をしつつ、それは理論武装するためというより好きだからやってるっていうのが重要なことのような気がする。ある作品のこのカットが好きだから、これいいんじゃないって言えるっていうか。そこには各々の自分の中で踏んできた文脈を経ての好きになると思うんですけど、そこをゴニョゴニョ言わずに「あ、良いじゃん」っていうことが大事かなって。

西村 - ファッションフォトでもいいんだけど、スチールっていうものとムービーっていうものが、どうも昨今混在されてるというか。よく見てても「これって写真じゃなくて動画で良くない?」とか、その逆で「写真の方が表現できるよね」ってものがあって。その差はすごい考えるよね。それを今回はすごい意識をしてて、絶対動画じゃないと表現しきれないものが撮れてるはずだから。

芳賀 - いろいろスチールでもムービーでも撮る上では選択肢はあるけど、2016年に普通にあるものを使って撮ってると思うんですよ。こういう技術があるからこれを使えばいいじゃんって。僕もさっき言った抜けの良さって重要だなと思ってて、そういう態度って間抜けな感じがするじゃないですか。でも考えた上でなら、それでいいじゃんって思うんですよね。

西村 - 抜けっていうのが良い表現だなって思うのは、洋服を見たときに、理論武装的なものが付随している洋服というのは、緊張感が出るんだよね。で構えるっていうか。僕はファッションってそういうものではないと思ってるし、それが見えてしまうっていうのは表現者としてどうなのかなって思うから。そこで緊張していないものの大事さ=抜けですよね。それがあるのはすごい良い意味でファッションっぽいって思うんだよね。

- それはムービーを見ても感じられましたね。

西村 - 1番初めにペタくんがmitsumeを撮ってるやつを見て、この人が好きなものとか、こういう哲学でやってるんだろうなとかっていうのが、明快に出てるし、あれは本当にいいなと思ったし。

 

芳賀 - ミュージックビデオも中々いろいろあるので難しいですけど、前に自分で映画撮ったときは、いろいろ考えるじゃないですか。それでお話的なわかりやすさを削ってやろうって思ったんですよね。最初の作品なのになんでそんなことを考えたのかわからないですけど(笑)。そのときから本当っぽいとか話がわかるカタルシスとかのところでやるのは、あんまやだなって思っていて。わざと重要そうなところを端折ったりとか、過程をみせるって形になって。お話がないとかじゃないですけど、そこからちょっとずつ変わってきて、今もお話的な明快さは必要だとかは今も思ってないですけど、それこそもっと素直にやろうってところはありますね。

自分が踏んできた文脈とかに対して、ある種信用してることがあるから、これで良いんだってなるんですよね。作ったものに自分が見え隠れするとかは、どうでもいいんですけど、抜けが重要だなってのはすごい思いますね。ただ自分がやれてるかっていうと、いろいろ足掻いてる故に抜けきれない部分が多々あるというか。それは2017年に生きてて、何かを作ってるとそうなってしまうのかなって思うんですよね。だからやっぱりSum41が(笑)

西村 - この対談面白いの(笑)?

- 僕はすごい面白いですよ、それにこういうテーマの対談もあまりないと思いますし。本物らしさだったりとか、その反対でハイパーリアリティーを強調する映像だったりも多いじゃないですか。それで一方ではポスト・トゥルースって話もあるし、そういうところを巡ってるんじゃないかなと思うんですよね。

芳賀 - もっとシュッとした話をしたほうがいいのかな。

西村 - もう1時間くらい喋ってるから取り戻せない(笑)

芳賀 - 日本では映画も洋服も輸入文化じゃないですか。そういう舶来ものに対してのトラウマがあるからこそ、ことさらオリジナリティーが強調されるのかなと思うんですよね。でもそれを主張しなくてもいいというか。自分は普通にそれがある時代に生まれているから、当たり前のようにある時代にいて、だからそこで見て聞いて食べて生活していった結果、普通にこういうのいいよねってなってることをやりたいっていうか。今の日本から見える景色でそれは全然成立すると思うんですよ。西村さんもパリでオートクチュールに囲まれて育ったってわけでもないじゃないし、そういう振る舞いをする必要もないじゃないですか。そういう態度が当たり前であるべきだと思うんですけど、そうじゃなくて「パリのカフェで議論して、おれたちはこういうことをやってます」みたいな振る舞いは必要ないんじゃないかなって思うんですよね。

西村 - でSum41につながってくる(笑)?

芳賀 - Sum41につながりますけど(笑)そこでゴニョゴニョしちゃうと明快じゃないですよね。前に DIGAWEL特集の奥山くん(奥山由之)が撮ったメイキングをStudyって雑誌の企画でやったのがあって、それとかもいわゆるファッションシューティングのメイキングには、あんまり見えなくて。iPhoneで撮られた素材をおれが全部編集してるんですけど。今の日本でこれをやってみたらいいんじゃないっていうのをただやってみたっていう。今回のもメイキングもいろいろな抜けをやろうとはしてるのかなって。

西村 - 全てにたどり着くっていうのは無理なんだけど、それなりに生きていかなきゃいけないし、やっていかなきゃいけないんだよね。現代批評みたいな側面を孕む話になったね(笑)

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西村・浩平・アンダーソン

DIGAWELデザイナー

芳賀陽平

映画『Tropical』監督

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