ポップミュージックとしてより幅が広くなっているラップシーンと同じく、いやそれよりもさらに多様化しているのが現在のR&Bだ。モダンなトラップから、センチメンタルなインディーロックとの近接、そしてダンスホールやアフロビーツからオーセンティックな90'sスタイル、ディスコまで、今のR&Bと言ってもそのサウンドはそれぞれのアーティストの環境やルーツなどによって全く違う音像が現れている。
広がりを見せるR&Bの今を追う連載企画の第五回目はBryson Tiller、Alicia Keys、Ricky Reedの三人による新作、そして9月から10月にかけてリリースされたシングル群を取り上げる。
文・構成:島岡奈央
1. Bryson Tiller - 『ANNIVERSARY』
前作『True to Self』のリリースから3年経った今、Bryson Tillerのカムバックは突如ながら、人肌恋しい季節にファンが最も必要としていたものだ。『Trapsoul』がリリースされたのと同日に発表された『ANNIVERSARY』でTillerは、変わらない音風景を再訪する。アルバムジャケットに反射する自分を見つめる彼は、これまでの遺産や思い出を今作で辿っていく。
1曲目“Years Go By”では、「プレッシャーをかけられると落ち込んだ気分になる/ゲームは俺に”今すぐ戻ってこい”と呼びかける/」と、自身の音楽に対する他者からの期待に悩む姿が綴られる。続く“Always Forever”や“Sorrows”は、一方的に恋愛関係に諦める心情を描写している。「僕と同じくらいの感情を抱いてくれたらいいのに/もう全てを忘れよう、どうせ君は何も覚えていないから」と、彼は感傷的に歌う。
関係に終止符を告げる“Things Change”は、彼のシグネチャーサウンドであるソウルフルな808を、より疾走感溢れるものにアップデートしたトラックだ。Tillerお得意のインタールードも、今作で上手く生かされている。“Timeless Interlude”の短いピアノ伴奏が漂わす刹那なムードは作品に深みを加え、過去を懐かしむ彼の後ろ姿が目に浮かぶ。唯一の客演であるDrakeが参加する“Outta Time”は、2人の男性の心情が歌われるメランコリックな1曲だ。
しかし、『ANNIVERSARY』に“Exchange”や“Don’t”のように印象的な楽曲は見当たらない。今作は単に『Trapsoul』のリアレンジバージョンと言ってしまうこともできるが、原点のサウンドに回帰することは全く悪いことではないだろう。Tillerは年内にも新たな作品が出ると囁いている。この5年間で、彼のスタイルを継承する新たなアーティストが出てきたことだし、異なるエレメントを取り入れた彼の音楽に期待したい。
2. Alicia Keys - 『ALICIA』
2003年に『The Diary of Alicia Keys』で世間を圧巻したAlicia Keysは、神童としてその座を譲ることはなかった。しかし、彼女はここ過去8年の間、ピアノと最低限の楽器素材で創作するスタイルから離れ、より挑戦的なサウンドと、より思慮深い歌詞を書くことに徹していた。新作『ALICIA』でKeysは、人生の変化を経て、今まで以上に多色な音楽性と強いメッセージを表現している。
「私たちを変えたのは追いかけなかった夢で、時間じゃない/けど1度心を解き放てば、全てに美しさが見つかる」と彼女は、ベースラインが特徴的な“Time Machine”で説く。自身の安全領域から抜け出し、サウンドスタイルの固執から解放されたAliciaの側面は、レゲエ色全開の“Wasted Energy”で伺える。
コラボレーションという点でも今作の彼女は意欲的だ。Jill Scott、Snoh AalegraやMiguelのような王道R&Bシンガーはもちろん、ブリティッシュシンガーのSamphaや、KhalidとTierra Whackの参加は、数年前にメイクアップを辞めたKeysの新たな一面を引き出している。
作品の終盤に、今作で最も伝えたいであろうメッセージが詰められている。“Perfect Way To Die”では、「街に炎の雨が降ったと彼らは言う、道路には血の川が流れる、また1人の命が奪われた、彼らは彼女に乗り越えろと言う」と、不平等に子供を亡くした母親の思いを代弁する。ピアノの伴奏で伸びやかに歌うKeysは自身の真骨頂を見せつけているが、それ以上にとても正直に聞こえる。COVID-19で余儀なく働き続ける労働者を称える“Good Job”は、作品の最後を飾るアンセムだ。
アルバムは正統派な仕上がりで、親しみ深いその歌声を安心して終始楽しむことができるだろう。オーセンティックな音楽を追求する彼女の姿は、健在だ。Keysは、自由に、気楽に、時に人を励ましながら、自身未体験のサウンドを『ALICIA』で探検している。
3. Ricky Reed - 『The Room』
Ricky Reedは、HalseyやLizzo、Jason Deruloに至るまで、数々のポップミュージックのヒットに貢献してきた。彼の記念すべきデビューアルバム『The Room』は、Youtube上のライブストリームで完成されたと言う。デジタル生活の真っ只中に彼がカジュアルに創作したそれらは、代わり映えのない日常と混じり合うような、ニュートラルな音楽だ。
彼が共作してきたビッグネームこそないものの、注目株のKiana Ledéや、Terrace Martin、バンドのDirty Projectors、そしてシンガーのLeon Bridges等が参加。“Real Magic”やラッパーGodfather666を迎えた“No Future”は、曖昧な作品のトーンを上げるような楽曲だ。楽曲それぞれのキャラクター性は朧ろげだが、Lido Pimientaが歌うエレクトロな“Catch You”は、ベースのうねりとフルートのアレンジが面白い。
アルバム前半では、Jason Deruloの“Talk Dirty”やLizzoの“Truth Hurts”を制作した同一人物の色を出し切れていないが、終盤のトラックは多少の盛り上がりを見せている。彼のよりアグレッシブな側面が覗く楽曲があれば、作品の抑揚が楽しめただろう。最終曲のアコースティック“No Stone”のように、今作は、友人との気さくなオンラインセッションという捉え方が良いのかもしれない。
Single Reviews
夏の終わりにはシングルリリースが多く続き、新曲が待望されていたアーティストたちが新しい音楽と共に戻ってきた。中でもSZAによる“Hit Different”は、デビューアルバム発表以来続いた3年間の沈黙を破った新曲だ。Ty Dolla $ignを客演に迎え、The Neptunesがプロデュースを、シネマティックなMVは初の試みとしてSZA自身が監督を務めている。
相手との間にギャップがある関係を認めつつも、その関係性にしがみつくような心情をSZAは歌う。「あなたはそうじゃなかったとしても、私は最初からあなたに夢中だった/口論をするたびにもっとあなたを好きになる」と、ロマンスにふける様子が描写されている。
独創的なヴィジュアルが楽しめるMVでは、シンメトリーに立ち並ぶ様々なオブジェクトを背景に、ダンサーとのフロウレスな踊りや、太極拳をする姿をSZAは披露した。それらは、如何なる恋愛環境にいても、美しさを保ちながら強く耐える女性の精神性を可視化している。このシングルが次のアルバムの1部なのかはまだわからないが、ポジティブな予感を抱かしてくれたことは確かだ。
上記の楽曲にも名前が挙がっているが、今やタイトルで“feat. Ty Dolla $ign”と記載されていれば、その楽曲は保証を得ているようなものだ。彼の得意なフックは、作品の可能性を解き放つだけではなく、曲のフレーバーを統一するシーズニング的な役割がある。それ以上にTy Dolla $ign自身の音楽は、客演曲では披露されることのない彼の真骨頂を発揮する。
Nicki Minajを引き連れて、前作“Beach House”以来2曲目となるシングル“Expensive”をリリース。Tyは楽曲で、彼女の価値に値する高級品で相手をもてなす様子を歌っている。「今週はマイガールをDiorに連れていく/高級時計を持っていなければそれは俺の女じゃない」
シングルパッケージには、先行リリースされていたKanye West、FKA Twigs、Skrillexと、豪華客演の“Ego Death”も収録されている。
今、最もハイプを受けるアーティストと言えば、Brent Faiyazだろう。どことなく現れたそのミステリアスな風貌と、ラッパーが書くようなリリックを読む古風な歌声は、リスナーの探究心をくすぐる。2013年からキャリアを開始し、2017年にSonderというユニットを結成。今年の2月に発表した『Fuck the World』は、ラッパー・Futureのミソジニスティックな歌詞を彷彿させ、王道のR&Bを逆行するようなFaiyaz独自の世界観を見せた。
私利私欲に溺れることを賛美する25歳のシンガーは、新曲“Dead Man Walking”でも金銭と女性を消費する日常を歌っている。「大金はショーティのバッグの中に入れてあるから/行く前にハッスルしてキャッシュを稼ぐ/複雑な気もするが、人生はそう悪くもない」と彼は口ずさむ。寒々とした空気を感じるトラックは、Faiyazの冷淡な歌声には相応しい。オルタナティブR&Bの新たな境地を発掘したとも言える彼が、今後どんな作品を展開していくのか、待ち焦がれるばかりだ。
ジャズとヒップホップを器用に取り入れるプロデューサー・Robert Grasperは、ブラックミュージックを自由自在に扱う。近年、次世代アーティストとコラボレートすることに専念している彼は、H.E.R.とMeshell Ndegeocelloを客演に、新曲“Better Than Imagine”を発表した。
愛の情熱と渇きを歌った今曲では、H.E.R.の持ち前の美声とGrasperの緩やかなピアノの音色が心地のいいメロディーを生んでいる。曲を締め括るのは、ヴォイスメールのような囁き声を披露するNdegeocelloだ。高い評価を得た『Black Radio』の3部となる『Black Radio 3』は、2021年に発表予定。
ロンドンを拠点に活動するシンガー・NAOがLianne La Havasをフィーチャーした“Woman”は、女性(特に有色人種)の新たな時代の幕開けを祝う叙情歌だ。
「もし神が女性なら、日曜日には自分たちを賛美しよう」と2人の黒人女性は綴る。光沢感がギラつくNAOの歌声とハスキーなHavasのそれは、意外にも好触感だ。フォークやソウルの影響を受けるLianne La Havasのセルフタイトル作品『Lianne La Havas』も、完成度の高いアルバムとなっているので、ぜひ一聴してほしい。
同じくロンドナーのシンガー兼詩人・Arlo Parksによるシングル“Hurt”が到着。インディーソフトロックの哀愁感が漂う今曲は、苦しみからの回復を歌う曲で、「当面は手放すことはできないかもしれないけど、そんなに痛みが続くことはないと知っていて」とコーラスで繰り返す。Parksによるデビューアルバムは現在制作中とのこと。新たなロンドン産R&Bに期待大だ。
LA出身のIndia ShawnはAnderson .Paakを引き連れて、グルーヴィーな新曲“Movin On”をリリース。硬いテクスチャーの演奏にソウルフルな彼女の歌声が乗った、アップテンポな一曲だ。「自分の世界に閉じこもっているの、たまにはそんな時もある/前に進まないと、ただいい気分を感じたい」というラインは、一度聞けば耳でリフレインするキャッチーさがある。現在はアトランタに拠点を移して活動するShawnは、4月には6LACKとのシングル“NOT TOO DEEP”も制作している。新たなプロジェクトを機会に、より大きな彼女のムーヴが待ち構えているだろう。