00年代の西ロンドン/ブロークン・ビーツ・サウンドの最盛期から現地で活躍した日本人プロデューサー・DJのKay Suzukiが昨年より再発盤を専門とするレコード・レーベルTime Capsuleを始動させた。2013年には東ロンドンはダルストン地区でハイファイオーディオ機器を備えた日本食レストランbrilliant cornersをオープンさせ、その後もプロデュース活動を続ける他、現在も多方面で活躍する彼にメールインタビューを敢行した。
取材・構成 : FNMNL編集部
写真 : Miguel Echeverria
- 「Time Capsuleは、再発盤にフォーカスしたレコード・レーベル。東ロンドンで長年続く老舗パーティのBeauty & The Beatと、同じく東ロンドンにある英国版ジャズ喫茶のbrilliant corners。ここに集う個性豊かなレコード・コレクター、オーディオ・マニア、音楽歴史家達がキュレーションを行い、現在アナログ盤が入手困難な世界中の音楽に解説を加え紹介する」と紹介文にありますが、そもそもこのBeauty & The Beatというパーティとbrilliant cornersという場所についてもう少し詳しく教えてもらえますか?
Kay Suzuki - Beauty & The beat(以下BATB)は東ロンドンのハックニー地区で14年以上も続く老舗パーティで、それ以前からDavid Mancusoをニューヨークからロンドンに招聘していたLucky Cloud Sound Systemのメンバー3人が始めたパーティです。Davidから直接影響を受けたロフトの精神性とオーディオ知識をベースにしつつ、音楽性としてはディスコからトロピカル、ジャズからアフリカンに、レゲエ、ダブ、サイケロックやハウスにテクノまで、ロンドンの様々なシーンから吸収された感覚にアップデートされた感じです。ただランダムに色んなジャンルの音楽がかかるのではなく、一晩の流れをプログラミングする姿勢を保ちながら、それでも毎回常に新しい音楽を色んなかけ方で紹介してくれるんですよね。週末にありがちな単純な四つ打ちに陥る事なく、それでいて押し付けがましくない。自然にそれぞれの音楽の持つ感情が繋がっている感じがするんです。そしてそれらを出来る限りアーティストが意図した通りの音響で実際にそのレコードを「体験」する事でその音の持つ説得力や感情の度合いが格段に増すんですよね。
皆言う事ですが、やっぱりこだわり抜いたアナログ音響の世界を一回体験しちゃうと、もう普通のバーやクラブの音では到底満足出来なくなっちゃうんですよ。特に日本に比べるとロンドンのクラブやバーの音響って実はそんなにレベルが高いわけじゃなくて、今はもう閉店したPlastic Peopleという箱はプログラミングもとい、音響的にも完全に別レベルのクラブ体験だったんですが、そのPlastic Peopleが無くなってからは、あの全身で感じる音響で音楽を楽しめる環境ってロンドンではハッキリ言ってBATB以外にはほぼなかったんです。ただそれだけじゃなく、年を重ねる毎に深化に進化を続ける毎回ユニークな選曲と、アットホームでインクルーシブなバイブスで、一度あのパーティのマジックに触れた友達は虜になって行きましたね。商業主義には決して走らず、友達同士が集まるハウス・パーティに求めるほぼ全ての要素を満たしつつ、それでいて公の場でこういうバイブスを体現するのは簡単な事では無いのですが、時間をかけてゆっくりと築かれたコミュニティだからこそ、そういった絶妙なバランスが保たれているんだと思います。時間と共に進化しながらも、それぞれのDJがある意味無我の境地に達してるような選曲術を心得てくれているお陰もあって、僕達仲間にとってBATBはDJが主体のパーティではなく、そこに流れるタイムレスな音楽とその場に居る全員のエネルギーが共鳴して出来上がった有機的な集合意識のような、パーティそのものが独立した生き物のような存在なんです。
Jah ShakaやChannel Oneを始めとしたロンドンのサウンド・システム文化はそのシステムをセットアップする仲間や家族によって支えられている訳ですが、BATBも毎月のパーティ毎に巨大なスピーカーから高価なアンプを運ぶのに何人もの友人がボランティアで協力してそのシステムを組み上げてパーティを作っているんです。当日は早い時間からスピーカーをトラックに詰め込んで搬入と設置。オープンまでには朝までパーティしてもお腹が減らないようにスナックやフルーツまで用意して皆を迎え、パーティ終了後はそのまま同じように今度は皆でスピーカーの撤収。そうやって彼等のスピーカーを一緒に運びながら知り合った仲間のAmitとAneeshというPatel兄弟二人組と一緒に始めたのがbrilliant cornersというお店でした。
彼等がBATBやロフトのヴィジョンからインスパイアされた、日本のジャズ喫茶のようなバーを作りたいから音響やプログラミングの相談に乗って欲しいという話から始まったんですが、その後彼等が発見した近所の物件にそこそこのサイズのキッチンがある事がわかったんです。前々からこの地区に寿司屋の必要性を説いていた手前、最初は知り合いのベテラン寿司シェフを紹介してまくしたてたものの、コンセプトがどうも上手く理解されず、最終的には「じゃー俺がやるよ」的な感じで、何ページにも及ぶ企画書とプランを書き上げました。そうやって元々のアイデアだったバーの営業形態からレストランの営業形態に必要な経費やライセンスを調達して僕がヘッドシェフとしてレストラン部分を経営する事になったんです。
元々僕は子供の頃から料理が得意で、高校生の時には寿司屋でずっとバイトしていた事もあって、ロンドンに移住してからは音楽活動の傍ら、数々の非日本人が経営する日本食レストランの職を転々としながら日本人以外の視点から見た日本食について常に研究していたんです。このお店を始める直前にも同じエリアにある別のレストランのコンサルティングをしてメニュー開発やシェフを雇ったりもしていたので大体のノウハウは分かっていました。それに僕にとっては音楽を創るのも料理をするのも創作プロセスとしてはそんなに変わらなくて、メニューの一品一品が楽曲で、そのメニュー全体がアルバムのようなモノなんです。出来合いのソースは使わずに全て手作りしたり、寄り選った面白い食材を集めて、化学調味料や電子レンジを使わずに出来る限り新鮮で質の高い素材をきちんとした技術で料理するのも、本物のアナログ・シンセや良いミュージシャンを自分で録音してアナログ盤をプレスするのとまったく同じ感覚なんです。低音域となるダシや旨味成分をベースに、中音域のメロディ・ラインとなるメインのタンパク質にはそのスケールに合ったハーモニーのソースを加えて、高音域のハイハットやシェイカーを薬味やスパイスとして効かせる事で、全ての周波数帯が綺麗にバランス良く口の中で聞こえてくるわけです。最終的に出来上がる音楽を最初から頭の中で決めて、そこにいかに近づけるかっていう近道を考えて創るのではなく、その素材とテクニックを使って産まれる音のその過程を楽しんで創る音楽の方が僕には合っていたようで、料理も同じように自分の手探りで研究して作り上げて行きました。2度揚げした有機飼育の鳥の唐揚げに手作りマヨを添えたり、活きの良い魚は逆にきちんと寝かせてから刺身にして手作り柚子胡椒をつけたり。後はタヒニとレモンをベースにしたソースをかけた野菜の寿司とか、エリンギをホタテの貝焼き風に調理して枝豆ピューレの上に乗せた一皿もヴィーガン料理として不動の人気でしたね。
自然派ワインやクラフトビール、メキシコのメスカルにカリブ諸島のラム等、所謂ありがちなブランドを避けた完全に独立系で厳選したドリンクのセレクションに、何個もの月が浮かぶ独特の内装等、Patel兄弟のあらゆるエリアにおけるセンスの良さとクオリティ・コントロールとも相まって面白い組み合わせだったと思います。平日の営業は大体レストラン形態で終わるんですが、週末になると大体遅い時間はテーブルを端に寄せて照明も一気に落としてダンスフロアを作っています。
そして後は何と言ってもロフトやBATBと同じく、フロアの4つ端に鎮座するKlipshornスピーカーの存在が一番象徴的な部分だと思います。このレストランがDavid Mancuso発のパーティ文化の意志を引き継いでいるのを明確に示すスピーカーは、1947年に開発されて以降デザインを変える事なく、現在も生産を続けている世界でも唯一のロングセラースピーカーで、僕はBATBで初めてこのスピーカーの音を聞いた時が最後で、あの時点で後戻りが出来なくなってしまいました。日本は札幌のPrecious Hall、福岡のDesiderata、東京のGalleryと、生誕地であるニューヨーク以外で唯一この文化を受け継いでる場所/パーティが現在3箇所もある世界でも稀な国でありながら、結局何の縁だったのか、僕がこの文化にこうやって直接的に関わるようになったのは日本を離れて10年経ったロンドンの地だったんですよね。
そして何よりもこの店を最初からドライブしていたのはやっぱりDavidやBATBから学んだ文化や哲学だったんです。福岡の増尾さんが経営する箱の名前の由来になった1920年代のアメリカ人詩人Max Ehrmannの作品『Desiderata』にはそのエッセンスが詰まっているのですが、例えばそこに来る人全員を同様に丁寧に扱う事だったり、その場のバイブスを尊重してきちんと思いやる事だったり、DJやダンサーのエゴよりも音楽そのものを一緒に共有する事自体を大切にしたりっていう事なんです。そもそもアーティストの感情表現が直接胸に響くような、あんなにもリアルな良い音で音楽を聴くっていう行為自体が凄い謙虚な体験で、その中で長時間一緒に踊っているとそこに居る人達と自然にその音に囲まれた一体感が産まれるんですよ。純粋な音楽の下では誰もが平等で、自分の年齢や職業、性別や国籍なんかの自我を形成する個性を超越した世界に、その瞬間だけテレポーテーションして踊る事が出来ます。そこで僕達は建前の無い、本当に純粋で平和な瞬間に出会い、自分達が無意識に被っていた仮面や、心の奥にしまっていた感情に気付いたりして、自我の消滅や深い気付きに繋がって行くんです。生の音楽家がその場で演奏するコンサートとは違って、アーティスト、プロデューサー、エンジニア達が長時間掛けて録音してバランスを整えた音楽をベストな状態で再生する事を目指す、このアナログのオーディオ再生芸術には実は生の音楽にも負けないパワーが潜んでいるんです。
最初のうちは大した宣伝もしなかったし、ちゃんとした店の看板を出したのもオープンから3ヶ月以上経ってからというのもあったので、ゆっくりと時間をかけた分、オープン当時は特にそんなピュアなエネルギーが充満していて本当にマジカルな体験でした。僕は他にも日頃のサウンドシステムの管理やアップデートだったり、ウェブサイトとメニューのデザインもしたし、毎晩の様子をストリーミングしてMixcloudにアップロードする仕組みを作ったり、ブースからケーブルを引っ張ってキッチンにも大きなサウンドシステムを入れたり、大変だったけど本当に楽しかったですね。
店にはCDJもUSBプレイヤーもありませんから、日替わりのDJ達がこのシステムで聴くための特別なレコードコレクションを披露してくれるので、毎晩それを聴くだけでも凄く色んなインスピレーションを受けました。普通のお客さんはメインのフロアで友達と話しながら食事したり、飲みながら彼らの音楽を聴いている間でも、僕達キッチンに居るシェフ達は無心に料理しながらでも聴いてましたから。最初の内は僕も一人でキッチンを全部回していたんですが、そこから徐々に人を雇うようになって、最終的には6人以上のシェフを抱えるようにもなって、それこそ包丁の研ぎ方一つから皆と日本料理のアートな部分を一緒に追求して行ったんです。しばらくして近所に住んでいた某星付きレストランのシェフにも気に入って貰えて彼から更にディープなアドバイスやワークショップを何度かもらった事もありました。メディアを始めとして周りからの評判も凄く良かったし、何よりもクリエイティヴな経験だったので夢中になってやっていました。色々なライブやトーク、村上春樹のイギリスでの新書出版記念パーティだったり、小さいながらもクオリティの高いイベントを開催したりして各方面から沢山サポートも貰いました。
ただ今度は日々追われる新メニューの開発やマネージメントの仕事量があまりにも増えて、音楽を創るための時間もその為のクリエイティヴな精神的余裕も全然無くなってしまったんですね。昔からスイッチの切り替えが上手い方でも無い上、どうしてもこの役割とそれに求められるクリエイティヴな追求心を考えると両立は難しくなって来ちゃったなってところまで来て。後は忙しくなる前に作った曲が、その数年後にようやくレコードでリリースされて即完売されたり、他にも色々な事が重なってまた音楽が自分を呼んでいる事に気付いたのもあって、悩みに悩んだ結果、オープンから約3年後にパートナーシップを円満に解消しました。今でも彼等は大切な仲間ですし、辞めてからの方が頻繁にここでプレイするようにもなりましたね。
- そもそもどういう目的で再発盤専門のレコードレーベルを立ち上げたんですか?
Kay Suzuki - まずTime Capsuleのコンセプト自体は、僕が常日頃追求している時間芸術という哲学から来ています。子供の頃から父親の聴いていたレイ・チャールズや歳の離れた姉や兄から教えてもらった色んな音楽を聞いて育ったので、10代前半から楽器や打ち込みを始めて色んな音楽に触れていくに連れ、自分にとっての良い音楽の条件を常に追求していたんです。若い頃は家族の影響でいわゆる黒人音楽の歴史を一から学んで行って、クラブ・カルチャーを含めてそこから派生する色んな音楽とその歴史を体系的に学んでいく内に気付いたのは、どんな人種のどんな時代のジャンルやスタイルの音楽であれ、自分が思う良い音楽には必ずその音を創り上げた人の意識が素直に反映されている事だったんですね。その特定の時代の特定の場所にしか存在しないその場の空気感というか、そこに居る人達が感じている集団意識のようなものをキャッチしてアートとして表現している音が好きな事が分かったんです。
例えば所謂音楽ジャンルのパイオニアと呼ばれている人達って、大体彼等の作品全体に通じる独特なグルーヴ感があるじゃないですか?James Brownのビートを一秒でも聴けば、あの「間」の感覚があるし。それは黒人音楽に限らず、独自の時間感覚を感じさせる音楽っていうのは大体において既存のフォーミュラに頼らない、感情を正直に反映させた音作りと時間の感じ方をしている事にも気付いたんです。彼等の意識の表現として産まれた楽曲の音宇宙では、そこで流れる独自の時間軸が存在していて、僕達はその宇宙に同期するように踊ってるんだなって。
元々僕は時間という概念に凄く興味があって、仏教哲学から量子物理学にメタフィジカルな世界まで色んな見解の時間という概念を長年勉強していたんです。特に音楽と時間と人間の意識の関係性に凄く神秘的な魅力を感じていて、このレーベルはその色んな哲学を実践するのに最適なプラットフォームだと思ったんです。
基本的には自分の周りの環境を反映させながら自分のアートを色んな方法で表現しているっていう意味では、ブロークンビーツ最盛期に自分でビートを組んでレコードを出していた時も、Afrobuddha名義で西アフリカ人の伝統音楽家達と一緒に音楽作った時も、ドラムマシンやシンセでテクノを作った時もモチベーション的には同じ処から来ているんです。だからこうやって自分の周りに集まった個性的なレコードコレクター達と一緒に音楽を共有して、そこから何かを一緒に産み出そうって考えたのもある意味その流れから来ていて、僕にとってはこうやって何年もインスピレーションを与えてくれた仲間達と一緒にコミュニティとして皆でこの時間芸術のテーマを更に研究出来れば、自分のコミュニティを盛り上げる事にもなるし、今や忘れられたオリジナルのアーティストやその楽曲を改めて評価する事にも繋がって、それを聞く人にとっても新しい発見となってその人の意識を拡大する事が出来ると思いました。
- レーベルを立ち上げた直接のきっかけは何だったんですか?
Kay Suzuki - 一番のきっかけはQratesとの出会いでしたね。brilliant cornersを2016年に離れてからしばらくは昔からの友人であるイタリア人アーティストSunlightsquareのレーベルと彼の運営するオンラインのミキシング・マスタリングスタジオのDoctor Mixで働いていたんですが、僕は自分の経験上、自分の制作活動と並行して、周りに居る人達のクリエイティヴィティを促す事も凄く大切だと思っていて、それで色んなミュージシャンやプロデューサーの人達とコラボレーションを沢山して来た経験があるので、Qratesのアイデアとかビジネスモデルに前から凄い関心があったんですよ。そのDoctor Mixっていうスタジオは、D.I.Y.アーティストやレーベルをターゲットにYouTubeのフォロワーだけでも20万人以上も居る人気オンラインサービスだったのもあって、Qratesと何か一緒に面白い事が出来ないかなと思ってヨンボさんに声をかけたのが始まりでした。ヨンボさんとはwasabeat時代に知り合いになったんですが、いつも感度の鋭い事をしてる人だなってのいうのを前から感じてて、色んな意見を交換して行った結果、最終的に僕の周りのレコード・コレクターのコミュニティに焦点を当てたこの再発盤レーベルをQratesのフォーマットを使って一緒に始める事になったんです。
Qratesフランス支社のGreg GoutyとFrancois Bibardの二人も彼等と同じ街に住むBATB関係の友人とも繋がっていて、Francoisがミックスを手掛けた、Atemiの楽曲を僕がリミックスをして2017年にBATBのレーベルからリリースしていたり、Gregは日本の音源をアナログで再発をしているレーベル180gを運営している事もあって、彼等とも直ぐ打ち解けました。昨年にはAtemiのアレンジで彼等の住むフランス西部のナントという街にもDJとして呼んでもらって楽しい時間を過ごしたのもあって、Qratesのチームとは本当にクリエイティヴなレベルで繋がっている感じですね。それでもこうやってある意味自由にレーベル全体をプロデュースをさせてもらっている事に対してQratesには本当に感謝しています。こういう僕達の活動を通じてもっとD.I.Yなアーティストやレーベルが自分達のヴィジョンを掲げて音源制作出来るような環境が整えれば幸いです。
- 過去から現在に至るまで、どういったレーベルに影響を受けましたか?
Kay Suzuki - やはり昔から独自のヴィジョンを持っている各時代の色んなレーベルに影響を受けましたね。自分達の環境を反映させつつも、そのアートフォームが成長するべき挑戦をし続ける事で音楽コミュニティ全体に貢献しているようなレーベルです。そういう意味では歴史的な意味合いを含めてMotownやBlue Note、Atlantic、A&M、 ECM、 Island、 Fania、 Celluloid、 UR、 Stones Throw、 Talkin’ Loudは外せないですし、過去20年ではSoul Jazz、Strut、BBE、Soundwayなんかはアフリカ全土から、カリブ海、南アメリカまで、とにかくそれまで音源的に未開の土地からの音源を人類文学的に編集して、本当に世界人類の音楽史に凄く貢献するような重要な作品を新旧問わず沢山出してくれていると思います。もう少し最近のレーベルだとMusic From Memory、Light In The Attic、Growing Bin、Invisible City、Séance Centre、 Emotional Rescue、HMV Japanも最近の自分の視野を凄く広げてくれたレーベルでTime Capsuleを始めるに当たっても凄くインスパイアされました。
そう言えば最近Light In The Atticのポッドキャストでアルファ・レコードの創設者の村井邦彦さんがインタビューをされていたのを聞いたんですが、それにも凄くインスパイアされましたね。Time Capsule2作目の鳥山雄司さんについて色々調べていた時に、村井さんとアルファ・レコードの事を色々と勉強したんですが、1970年当時、それまでは大手の家電会社が経営していたレコードレーベルしか存在しなかった日本で最初のアーティストによる独立した音楽レーベルを始められたっていうのはかなり画期的だったはずですし、同じくアメリカでミュージシャン自らが始めたHerb Alpert率いるA&Mの日本でのライセンスを獲得したり、その後のY.M.O.の世界的成功しかり、常にクリエイティヴで僕達が育った日本のポップ音楽の礎を築いてきた事を改めて感じぜずにはいられませんでしたね。そういった背景を勉強した後で聞くご本人のインタビューは本当にタイミング的にもバッチリで凄くグッとくるモノがありました。
- これまでのリリースについて教えてもらえますか?どういった作品を再発したんですか?
Kay Suzuki - 1枚目はbrilliant cornersにも毎年のようにプレイしに来てくれて、僕らのコミュニティにも凄く溶け込んでいる東京在住のDJ・プロデューサー、Ryota Opp君が紹介してくれたレコードなんですけど、彼のセンスはやっぱり凄く僕達のバイブスにハマるものがあって、即座にドンピシャなアイデアをくれたんです。1970年代のイタリアで電子音楽やニューエイジの先駆者として活動していたロマンチックなイタリア人天才音楽家の素晴らしいアルバムなんですけど、調べてみたら今は息子さん達と音楽出版社を経営されていたので、早速コンタクトを取ってライセンス契約を進めました。
最終的には同じくイタリア人で友人のSilvia Ginがミラノ郊外にあるアーティストの自宅へ行って79歳になる本人のインタビューもとって来てくれて凄く良い話を沢山聞く事が出来ました。彼の才能、キャリアを考えると本当に凄く謙虚な方なんですけど、純粋な音楽を創るアーティストとしての生き様を感じずにはいられませんでしたね。アートワークもなるべく忠実に再現して、マスターテープからリマスタリングしたので音の仕上がりは1979年のオリジナル盤よりも断然に良い高音質プレスになりました。当時のイタリアの様子と彼のこの作品が出来るまでの生い立ちをライナーノートにも残したので、この音楽がどういう環境で作られてどういう感情がこもっているのかが伝わってもらえればタイムカプセルとしての役目は果たせたかと思います。
(※プレイヤー右下部分の設定脇にあるボタンで日本語字幕が表示されます)
2枚目は日本のフュージョン・ギタリスト、鳥山雄司さんの80年代のソロ・アルバムに収録されていた実験的なインスト楽曲を集めて12インチのシングル45回転でカットしました。90年代以降の鳥山さんは、鳥山さんの名前を聞いた事が無い人でも日本で育った誰もが必ず聴いて来たような作品を手がけて来たんですが、彼の80年代の作品はちょうど僕の大好きなドラムマシンやシンセを多用した今の僕のフィーリングに凄くフィットした楽曲が沢山あったんですよ。そこで今回のプロジェクトを進めるに当たってアドバイザーとしても色んな助言をくれたKen Hidakaさんが日本のレーベルをコーディネートしてくれました。日高さんとは2010年に僕が自分のアルバムを作った時にHMVの小松さんを通じて紹介してもらってからの仲で、今回は彼の専門分野である再発盤ならではの色んな諸事情を教えてもらいました。世界的に注目が集まる旬な日本の音楽なだけにこの作品は即完売しまして、ちょうど再プレスが完成した処です。
日本でも今月22日に発売になる3枚目はそのKen Hidakaさんがキュレートしてくれた作品で、ビル・ラズウェルが2001年に手がけたエチオピア人シンガー、ジジのアルバムをラズウェル氏自らがダブ・ミックスを施したアルバムを今回初めてアナログ2枚組で発売します。
6月に発売の4枚目は古典インド音楽のアルバムで、アカデミー賞ノミネートもされた南インドはカルナータカ音楽を代表する女性シンガーBombay Jayashriが2001年に残した凄くスピリチュアルなアルバムで、この作品もそれまではCDでしか発売されてない作品を初アナログ化となりました。ここには僕達のコミュニティの中で一番の古典インド音楽の専門家でもある友人で、BATBのDJの一人、東ロンドン大学で社会政治学を教える大学教授のJeremy Gilbertが古典インド音楽入門的な紹介を兼ねたライナーノーツを寄稿してくれました。レコードの収録可能時間ぎりぎりの二十分以上の作品だったので、この作品だけはレコードの内側から外側へ再生する逆向きカッティングを施してとにかく可能な限りの高音質を目指しました。この先もブラジルやイギリス、フランスからと、とにかく色んな国の色んな時代からの音楽を紹介して行く予定です。
- 同名のレコード店もオープンされたと聞きました。
Kay Suzuki - まだオンラインのみの展開なんですが、僕達のコミュニティの中でも最近一番注目を集めているディガーのPol Vallsがキュレーションを務めるお店を2月に始めました。Polとは以前に一緒に暮らしていた時に彼の潔癖症ぶりと素晴らしいレコード・コレクションにノックアウトされて以来の親友なのですが、ここ最近彼には特に不思議な嗅覚が備わっていて何処に行っても本当に面白いレコードを掘ってるくるんですよね。ヨーロッパ中の著名なレコード・ディーラーとも親交が深いですし、やっぱり彼も長年BATBのファミリーとしてその文化を体現している仲間なのでTime Capsuleのコンセプトにも完全に合致したキュレートをしてくれています。まだ数は少ないですが、ジャンルやスタイルにこだわらずあまり知られてないレアで面白いレコードを集めて全てにコメントをつけている上、各レコードのオススメの楽曲のサンプルも最初から最後まで丸々聞けるようにしています。レアなレコードは結構高い買い物にもなりがちなのでやっぱり1~2分のサンプルじゃなくてちゃんと1曲まるごと聞いてから判断したいですから。とにかくオンラインで掘る時の利便性を一番に考えて設計したウェブサイトなので他にも使ってみると感じる部分があると思うので是非体験してもらいたいですね。お店のインスタでは日替わりでオススメのレコードを紹介しています。
- 今後の予定はありますか?
Kay Suzuki - 現在交渉中の作品が沢山あるのでその中からなるべく多くの作品を今年中に発売出来ればと思っています。あとはまず6月7日の金曜日に昨年のレーベルローンチを開催した青山ゼロでまたレーベルナイトを開催する予定です。残念ながら今回は僕は行けないのですが、その代わりに上記のレコード店キュレーターを務めるPol Vallsを日本へ送る予定です。東京からはPolも尊敬する日本屈指のディーラーで、昨今の日本のアンビエント音楽の再評価を世界的に広めたOrganic Music主宰のChee Shimizuさん、昨年のbrilliant cornersでも青山ゼロでのレーベルローンチでも素晴らしいセットを披露してくれたKen Hidakaさん、そして近年ナイスなキュレーションで国内外で話題のHamon Radioを主宰するmaaさんといった三人が参加してくれる事になっているので東京近郊にお住まいの方は是非Time Capsuleのvibesを感じに遊びに来て下さい。
INFO
Time Capsule Tokyo
Pol Valls (Time Capsule - UK)
Chee Shimizu (Organic Music)
Ken Hidaka (Lonestar)
maa (Hamon Radio)
前売り : ¥1,200 (1D) - ¥2,000(1D)
当日 : ¥2,700(1D) / WF : ¥2,200(1D)
https://www.facebook.com/events/327011334642161/
チケット販売リンク
https://www.residentadvisor.net/events/1250887