一昨日アメリカ・ベイエリアを拠点とするプロデューサーユニットで、いわゆるクラウドラップシーンのパイオニア的存在として知られるFriendzoneのメンバーJames Laurenceが亡くなった。27歳だった。相棒Dylan Reznickとともに、彼は2010年代前半の音楽シーンに大きな功績を残した。そしてそれはアメリカだけの話ではなく、ここ日本にも関係のあることだ。振り返りたい。
文:和田哲郎
Jamesは元々ハードコアバンドDDSや、LVC名義でのソロ活動を行っていたが、2005年にRobin Williams on Fireというノイズロックバンドを組んでいたDylan Reznickと出会い、バンド活動を経てFriendzoneを結成する。
2011年にリリースされたミックステープ『Kuchibiru Network』をリリース。岡田有希子の同名曲からタイトルをとり、岡田の楽曲や、チルでスクリュー以後の浮遊感漂うジャンルレスなサンプリングを用いた自身のビートなどが収録されたこのミックステープが局所的に話題になった。
そして同年盟友Main AttrakionzやRyan Hemsworthの楽曲を収録した『Kuchibiru Network 2』をリリース。この作品にはFNMNLでも取り上げた謎のTwitterアカウントKonyagatanakaがプロデュースを手掛けたCARIOS & DKXOによるクラシックチューン"Local Distance"(初出はJPRAP.COMが手掛けたフリーミックステープ『#Nibiru』)も収録されていた。また同時期にCARIOS & DKXOはFriendzoneのプロデュースによる"From Dusk Till Dawn"も公開、それまではまだ珍しい形だった、インターネットを通して起こった日米のこの新しい形での邂逅は、筆者にとっても大きな出来事だったのは記しておきたい。
このようなサウンドはインターネットで絶大な支持をほこるラッパーのLil Bが積極的に取り上げていたが、一気にそうしたサウンドが広まりるきっかけとなったのは、2013年のA$AP Rockyのデビューアルバム『LONG.LIVE.A$AP』に収録された"Fashion Killa"だろう。同曲のプロデュースをおこなったのがFriendzoneだ。春風のようなキラキラとしたエモーショナルなメロディーは、Friendzone史上で最もポップなプロダクションの1つだ。
この年Friendzoneは『Kuchibiru Network 3』(Konyagatanakaはこちらにも参加)もリリースし、初めてのビートアルバム『DX」をリリース、彼らのメロディックなテイストをテクノからスクリューまで様々なスタイルで昇華した同作は、彼ら自身そして2010年代前半のビートの1つの結節点だったといえるだろう。
Faderに盟友Main Attrakinonzの2人がJamesについて語るインタビューが掲載されており、代表曲の1つ"Perfect Skies"が、2組が初めて会った時に制作された曲であること、アーティスト同士ではあったが、2組ともそれ以上に音楽好きであったこと、Jamesは常に笑顔でいつも女性についてやビデオゲームについて話していたことなどのエピソードがとても印象的だ。
最近はまとまった作品のリリースは行っていなかったものの、T.R.E.A.M.によるコンピ『LIFE LOVES THE DISTANCE』のリミックスを行いたいとJamesが名乗りでていたという話もある。それは永遠に実現しないことになってしまったが、Friendzoneの作り上げた新しい可能性に満ちた作品群は、いつまでもインターネットの上をふわふわとさまよっている。
相棒DylanはJamesの死後Facebookに1曲の楽曲をポストしている。