Bjorkが、自身のFacebookページに音楽業界におけるセクシズム(性差別)について告発する長文のテキストを公開した。
text and translation by Jun Yokoyama
Bjorkは12/16にテキサス州ヒューストンで開催されたDay for NightフェスティバルにAphex TwinやArcaたちと共にBjork Digital名義で出演。映像インスタレーションと共にDJパフォーマンスを行った。
しかし、現地紙はBjorkのセットを「Biggest WTF?(最大のなんだあれは?)」と酷評。「せっかくBjorkを一目見ようと行ったのにBjorkは見えないし、落ち葉の映像と共にネイティブ/スパニッシュの民族音楽のサウンドコラージュを掛けてた。文字通りだよ。LEDのコスチュームに身を包んで、ぼんやり光っていた。本物のBjorkのファンはBjorkらしいBjorkって納得するけど、他の人達はわけが分かなかっただろうね」と論評。
Bjorkは、それら不当な批判などに対して、そしてセクシズムやジェンダーについての考えを長文でコメントした。以下全文訳。(もちろん不自然な日本語訳特有の女性言葉での訳は行わない)
---
かわいこちゃんのメディア様へ
!!! 素敵な冬至の日を過ごされていることかと思います!!!
みんなも知ってるように、私はキャリアを通してセクシズム(性差別)について文句を言ってきたりはしなかったけど、まあ、それとはただただ上手くやってきた。空を見上げれば大きなポジティブな流れが広がってて、ポジティブな変化を伴った流れがあることを感じてきたから。
だから、一つだけ言っておきたい。
先週テキサスで行われたフェスティバルに2度出演した。お気に入りのミュージシャンたちAphex Twin、Arca、Oneoh Trixpoint Never、Matmosたち、挙げればキリがないけど、彼らがDJをして、魔法にかかったような気分にさせてくれるイベントだった。
私たちのほとんどは自分のプロダクション以外の、つまり他のアーティストの曲を選曲して、時には制作中している楽曲のインスト・トラックをその間に掛けたりもした。
DJを皆さんの前でやりはじめてから1年も経ってないけど、オーディエンスの皆さんは私のDJに慣れてきて、私のファンのみんなは驚くほど、私の(DJによる)音楽旅行を受け入れてくれてて、皆さんが私を私のままでいさせてくれることは本当に特別なことだと思う。
DJはとても楽しくて、何週間にもわたって他のアーティストの曲をエディットする自分のナードさは、私が知っている最も崇高な音楽同士の間に、私が感じる、また違った調和を発見させて、それをシェアさせてくれる。
けど、いくつかのメディアは私が「パフォーマンス」をせずにDJブースの後ろに「隠れている」ってことを理解できずにいる。男性が(DJする時は)違うのに。私が思うにこれこそがセクシズム(性差別)だと思う。騒々しい一年の終わりに言いたくもないけど。私たちは革命的なエネルギーの真ん中にいて、最大限に変化していくに値する存在だから。
それは価値あることなんだから。
まあいずれにせよ、
音楽業界にいる女性はシンガーソングライターになってボーイフレンドのことを歌うことしか認められていない。もし彼女たちが原子とか銀河とか(政治的な)アクティビズムとか、ナードっぽい数学的なビートの編集とか、主題を恋人からそのようなものに変えたとしたら、批判されるだろうね。そんなことをしたらジャーナリストは私たち女性には何かが欠けていると思うだろう。まるで私たちの言語はエモーショナルなものだけかのように。
私はアルバム『Volta』や『Biophilia』を、女性アーティストが普段書かない主題と分かって作った。そして私はそれを成し得たと思ってた。アクティビスト的な感覚で作った『Volta』では、妊婦による自爆テロや、(アイスランドとスコットランドの間にあるデンマーク領の)フェロー諸島やグリーンランドの独立について歌った。
教育的な視点で作った『Biophilia』では、銀河や原子について歌った。けど(パートナーとの破局を歌った)『Vulnicura』までメディアからきちんと受け入れられることはなかった。男性アーティストは主題を様々に変えることを許される。SFから時代物、スラップスティック・コメディからユーモアのあるものまで、もしくは作り上げられたサウンドスケープのなかで彷徨う音楽オタクにもなれる。けど女性はそうじゃない。私たち女性は、人生で、腹を切り裂いて、血を垂れ流して、男性と子供のことを気にかけなければ、オーディエンスをだましてるってことになる。
(映画やコンテンツにおけるジェンダー・バイアスの具合を測定するテストの)ベクデル・テストも真っ青って感じだよ。
けど、変化は確実に起こりつつある。私たちはそこに向かっている。だからこんな事は、今年の終わりにあなた方と一緒に終わらせたい。典型的な女性の主題である破局について勇気を出して歌ったけど、来年はコスチュームを変えて、その女性的な役割を終わりにしたいと願ってる。(フランスのシャンソン歌手)エディット・ピアフや(ギリシャ系アメリカ人ソプラノ歌手)マリア・カラスはもう終わり。マリア・カラスのドキュメンタリーには絶対に恋人のオナシスが出てくるし、男性のミュージシャンのドキュメンタリーで、男性アーティストが破局して心を痛めたっていうことには言及がないからね。
2017年を、私たちが100%トランスフォーメーションする年にしよう!!!
ここにいるすべての女性が多様である権利を!!!
さあ行こう。
メリー・クリスマス。
björk
---