FNMNL (フェノメナル)

ベストサマーチューン 2016 Selected by Shimpei Nitta

Shimpei Nitta

FNMNLのスペシャル企画『ベストサマーチューン 2016』。DJやプロデューサー、はたまたライターからブロガーとして活動する方々にに今年のベストサマーチューンをピックアップしてもらうというもの。ミュージック・マガジン編集部に在籍し、配信音源の連載「今月のダウンロード」を担当。国分純平の名前で音楽ブログ『キープ・クール・フール』も運営していた新田晋平による今年の夏の1曲は?

徳利 - あの子を抱きしめたら

今年の夏聞いた曲で印象的な1曲を…という依頼をいただき、今年聴いた夏らしい曲をいろいろと振り返ってみた。たとえば、ナイジェリアのCoco Bensonによるシングル"Taxi Driver"。ハイライフ史に燦然と輝くBobby Bensonの同名曲を実の孫娘であるCocoが歌詞を引用しつつ、原曲のリッチなホーンズやトロピカルなギターをサンプリングして、軽快なアフロ・ポップに仕上げた一曲だ。あるいは、ニューヨークの男女R&Bデュオ=Lion Babeがレゲエを大胆に取り入れたミックステープ『Sun Joint』に収録された"Endless Summer"もいいなとか、ルーツ・レゲエ・リヴァイヴァルの旗手Chronixxの最新ミックステープ収録の"Iyah Walk"も繰り返し聴いてるなとか、宇宙ネコ子"Summer Sunny Blue"での入江陽の客演も最高だよな…などなど。しかし、それらの曲を聴きかえして夏に想いを馳せてみるたびに、頭をよぎったのが徳利の"あの子を抱きしめたら"だった。

春はあけぼの、夏は徳利。僕はそんな言葉はいま初めて聞いたが、少なくとも僕にとって徳利は夏だった(以下、徳利をそれなりに知ってる方が読むと思って細かい説明は省略する)。
3年前の6月30日、博多の素人ラッパー、徳利が都会の一流ライヴ・ハウス、代官山Saloonのステージに立った。そのときの話は僕が当時書いて「エモい笑」と言われたブログ・エントリーをお読みいただければだいたいわかるのだが、さえない青春時代の鬱憤をラップにしてSNS上で注目を浴びた素人が、あれよあれよという間にインターネットの人気者になり、とうとう目の前に現れた感動は、あまりほかでは体験できないものだった。

あの日は、一緒に観に行った会社の後輩と「人生最高のライヴじゃないか」「2011年フジのWilcoくらい良かった」などと興奮しながら帰ったのを覚えている。その後輩とは同じ年の9月に、あのライヴの感動をもう一度体験したくて、わざわざ大阪まで徳利を観に行ったこともあるし、もちろん徳利が新曲を出すたびに「聴いた?」と感想を言いあっていた(ともに答えはたいてい「ヤバい」だったけど)。そういえば、徳利が上京していることを知った僕が彼にポップアップでそのことを伝えたら、信じられないことに、会社の違う先輩に「ヤバイですね!!!」とメッセージを送っていたこともあった。ちなみにその後輩は会社を辞めてしまってだいぶ会ってないのだけれど、そうした一連の出来事がちょうど夏をまたいで起きたものだったこともあって、夏と言われるとそのころのことをつい思い出してしまう。

と書くと、徳利以外に思い出がない人のように思われそうだが(ほかにもあるし、なかったらそれはもう徳利本人である)、それだけあの夏は印象深いものだったのだ。しかし、2013年の暑い夏を熱く駆け抜けた徳利は、次の夏が来る前に活動のペースが落ち、14年の秋に突然活動を停止してしまう。もちろん残念だったが、短い時間だったからこそ、強く心に焼きついたのだとも言えるかもしれない。夏とははかないもの。蝉の命は短いし、お盆には海水浴はできなくなってしまう。楽しいことが多いからこそ、あっという間に終わりが来てしまう。ふらりと僕らの前に現れ、強烈すぎる印象を残して、突然姿を消してしまった徳利の、一瞬の輝きと刹那が、夏という季節と重なるのだ。

徳利 - あの子を抱きしめたら

Yo, Yo, 徳利ラップ、徳利ラップ

うだる暑さに参っちゃってる
No Girlfriend で暇しちゃってる
ラップしたいけど行き詰ってる
だからしかたなくインターネット
タンブラーに流れる可愛い女子でも見て
目の保養、いつもの調子
あの子もその子も It's So Good
どの子もこの子も It's So Cute
でもやっぱりひときわ目立つあの女の子
真っ白な肌、艶つや黒髪ストレイト
屈託のない笑顔、つぶらな瞳
その目で見つめられたら
その目で見つめられたら

あの子を抱きしめたらイパツーで解決する問題と向き合ってるんだ
あの子を抱きしめたらイパツーで解決する問題と向き合ってるんだ

とりあえず飛び出した街の中
落ち着く場所もないねなかなか
いかしたパーティーもない夜中
何にもやることがない田舎
ナイキ、アディダス、コンバース
バンズにプーマ、リーボック
大好きなスニーカー何十足
あっても満たされない充足
どれだけ待っても現れない
どこを探しても見つからない
とびきり可愛いあの女の子
あの子は今日もディスプレイの中
手の届かないディスプレイの中

あの子を抱きしめたらイパツーで解決する問題と向き合ってるんだ、Yo
あの子を抱きしめたらイパツーで解決する問題と向き合ってるんだ、Yo, Yo
あの子を抱きしめたらイパツーで解決する問題と向き合っていかなきゃいけない
この夏も、これから先も、ずっとずっと
ずっとずっと


Marvin Gaye風のメロウなソウルにのせて、メロディアスなフロウを聴かせる”あの子を抱きしめたら”は、徳利にとって唯一と言っていいサマー・チューンだ。歌われているのは、何も起こらない平凡な毎日、都会から遠く離れた田舎、いつまでたっても出来ない彼女。ブレイク以降、インターネットで多くの人の注目を集めるようになった徳利だが、それはあくまでラッパー、徳利の話であり、インターネットを離れた徳利の「なかの人」(というのがいるのである)は、相も変わらず、手に自分で「現実」と書いて海岸を歩いていたという無職時代の続きを過ごしていた。

そんな「なかの人」の目線から、現実とインターネット、田舎と都会など、さえない自分とその対岸にある洗練されたものとを対比していくのが、この曲の基本的な構図になっている。そして後者の象徴が、アートワークにも写真が使われている女優の夏帆。タンブラーに流れる可愛い女子の代表である彼女は、「なかの人」の180度対極にあるものとして描かれている。つまり、夏帆は日々の生活で触れることのないキュートでグッドな女子であると同時に、現実を忘れさせてくれるインターネットであり、いかしたパーティーが開かれている洗練された都会なのである。

しかし、彼女がそのつぶらな瞳に映し出すものは、彼女を見つめている「なかの人」自身である。ラッパーの徳利と、フリーター(当時)の自分。ネットの人気者である徳利と、人付き合いの少ない生活を送る自分。現実の悩みを忘れてやりたいことをできている徳利と、鬱々とした悩みやどうにもできない問題と向き合っている自分。一見、都会や女性への憧れを歌っているようにみえるリリックは、そうした「理想」に手が届かない自分の状況やそれに対する心境を炙りだす。「その目で見つめられ」ることは、自分のリアルな現状と対峙し、心の奥底を覗きこむことである。「なかの人」と「徳利」、つまり自分自身との内なる対話。それがこの曲の本質だ。「あの娘を抱きしめたらイパツーで解決する問題」と、「なかの人」はいまも、これからもずっとずっと向き合っていかなくてはいけない。

徳利の突然の活動休止も、「なかの人」と「徳利」の対話が最終的に行き着いた答えだったのだろう。しかし、その徳利が少し前から再びラップを始め、ついにはツイッターにまで戻ってきた。な、夏がやってきた……正直に言えばそのときはまったくそんなことは思わなかったのだが、いまこの文章を書いていて、そうか今年の夏はあのときから始まったのか、徳利が復活ツイートをした日が今年の立夏だったんだ…と思ったのだった。

復活後の徳利について、以前の猛暑のような勢いがあるかと言われると、残念ながら、ないと言わざるを得ない。いや、最高に面白い写真を次々とツイートしているのだが、徳利を有名にした"徳利からの手紙"の第2弾など、僕は退屈で途中で聴くのをやめてしまったくらいだ。前から言っていることだが、徳利とは成長キャラであり、初期衝動ゆえの美しさがあった「手紙」を成長したいまやられても、同じように感動することはできない。

とはいえ、復活後すぐに発表した"清澄白河"は徳利がLil Yachtyと非常に近いタイプの才能であることを証明したし、SNS活動休止中に公開した"Sunday Candy (Cover)"はまさかの合唱団名義でDonnie Trumpet & The Social Experimentのゴスペル曲をアカペラ・カヴァーして、格の違いを見せつけた。腐っても鯛、復活しても徳利。これらの曲での徳利には非常に大きな可能性を感じている。

もっとも、今回の徳利もまたいついなくなるかはわからない。夏とははかないもの。楽しい時間はいつか終わってしまう。しかし、復活した徳利のツイッターの名前に「2」がついていることを発見したとき、僕はわずかな期待を抱いた。これは徳利がシリーズものであることを意味しているのではないか。徳利は『ロッキー』や『アイアンマン』(一時期自分と重ね合わせていたらしい笑)が好きらしいが、それらの映画と同様に、今後も3、4と続いていくのではないか。もちろん、それはいまの2が一度終わるということも同時に意味してるのだけれど。

しかしそれにしても、3年前の代官山でのライヴのために作った曲が"OVE THE END"という曲名だったこと、その曲で徳利が「終わりの向こう側で待ってるぜ」と叫んでいたことを思い出すと、すべてがつながっていたのだとも思えてくる。そういえば、14年に活動を停止する2年前にも、徳利は一度Twitterを退会していた。ジ・エンドを迎えては復活して、またジ・エンドを迎えては復活して…。諸行無常、永劫回帰、輪廻転生。徳利とは何なのだろう。いつまで徳利について考えれば答えが見つかるのだろう笑。

そろそろ何について書いているのかわからなくなってきたし、そもそも徳利に興味がない方には最初から意味がわからなかっただろう。Coco Bensonの夏曲についてサラッと書いて終わりにしようと思っていたのに、なぜかこんなことになってしまった。やはり徳利には人を狂わせる魔力があるのだ。

<Shimpei Nitta Info>

ミュージック・マガジン9月号は8月20日発売です。石野卓球特集のほか、クレイジーケンバンド特集、夏に聴きたいレゲエ新世代特集、ゴンジャスフィ新作をきっかけにしたエクスペリメンタル・ヒップホップ論+アルバム選、KIRINJIインタヴュー、二階堂和美 with Gentle Forest Jazz Bandインタヴューなど、盛りだくさんです。ぜひお読みになってみてください。

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