©︎Koichi Enomoto courtesy of TARO NASU

TARO NASUにて画家・榎本耕一の個展『ストーン』が開催

CULTURE  2016.12.24  FNMNL編集部

2017年1月14日(土)~2月10日(金)まで、東京・神田にある現代美術ギャラリーTARO NASUにおいて、画家・榎本耕一の個展『ストーン』が開催。初日にはレセプションも行われる。

TARO NASUでは2度目の個展開催となる榎本耕一。前回の個展では、291.0 x 218.2cmの大作「21世紀旗手」を含むペインティング作品11点を展示したが、今展覧会では新たなペインティングを12点発表するという。(Yuuki Yamane)

enomoto

「僕は、絵を描くにあたって、モチーフとするための石を、千葉県銚子の石だらけの海岸に拾いに行った。

夕暮れ時、風に吹かれながら、誰もいない海岸で石を集めた。石には人の魂が宿る、と聞いたことがあったので、もしかすると人面が見える石もあるかもしれない、あったら嫌だな。などと思いながら絵になる石を探した。

疲れてあたりを見回すと、海の反対側の道は崖の腹に開いたトンネルの中に続いているが、トンネルは、土砂崩れがあったらしく立ち入り禁止になっている。穴に空気が吸い込まれているように見える。真っ黒な穴だ。

海を望むやや高い場所には、縦に細長いピラミッドのような形の、海難事故犠牲者の慰霊碑が建立されてある。近づいてみると、田舎の家の居間に貼ってある遺影みたいな写真がふたつ、タイルになって貼ってある。彼らは海に飲まれたのだ。考えると、海に飲まれたのは彼らだけではない。僕は、人を飲んだ海の前で気に入る石を探してあるいている。海に目をやると、とても静かな海だ。白い鳥たちが、空中に紙のようにぺらぺらと飛んでいる。

僕はさらに石を拾いながら、先日読んだ万葉集の中の一首を思い出した。折口信夫の「口語万葉集」から引用する。

われのみや、夜舟は漕ぐと思へれば、沖辺の方に舵の音(と)すなり

(自分ばかり、夜舟をば漕いでいるのだろうか、と思うていたら、沖の方に思いがけなく、艪の音がしていることだ。)

暗い夜の海に、エンジンもGPSもついていない小舟で、艪を動かして漕ぎ出すのは怖そうだ。舟に松明をつけているにしても、あたりには何も見えまい。時々海面から魚が飛び出して、不意をつかれるだろう。そのような孤独な耳に、自分以外の人間が艪を操っている音が聞こえてくる。

僕は石を拾いながら、最近読んだ本について思い出した。万葉集、古事記、日本書紀、日本霊異記、折口信夫、柳田国男、谷川健一、岡野弘彦、柄谷行人、和辻哲郎、井筒俊彦、エトセトラ。本の内容を暗唱できるわけではない。内容をうまく咀嚼できたわけでもなかろう。けれど彼らがかつて存在した気配が、夜の奥に聞こえる艪の音のように僕に機能した気がした。

文字よりも感触を、見えるものよりも聞こえるものを優先して絵に落とし込む。僕はたとえば、石を掴む感覚を頼りに想像を膨らませる。感触や音から生まれて来るイメージを絵に落とし込む時、絵は視覚の再現に止まらず、感触や音が、図像に何らかのエフェクトを与える。僕は、今回の展覧会の絵のモチーフのひとつとした古事記という書物にしても、いつもより耳を澄まして読んでみた。遥か昔の人が聞いた音、触った感触、感じた痛み、喜びが、身に沁みて来る。文字情報は置いておいて、感覚の記憶を頼りに絵を作る。すると絵の中では、現代に生きる僕が、耳や感覚と通して身に落とし込んだ記憶の数々と、時間的断絶を超えて平気で並列することを始める。ただ並ぶだけではなく、ひとつひとつが、感覚的なつながりを持って同居する。

一瞬の感覚のあとに思考する言葉、それは僕と昔の人では大きな違いがあるだろう。でも、その前は、同じだろう。僕は、自分の感覚を信じて、手探りで絵を描き、完成イメージに肉迫することを心がけて仕事をした。完成した絵が、夜舟の上で聞く艪の音のように人に機能すればベストだし、そのような機能をもつひとつの記憶となれば、さらに良いと思う。」

榎本耕一

イベントINFO:

『ストーン』

DATE:2017/1/14(土)~2/10(金)

OPEN:火~土 10:00~18:00 日月祝 休

Reception for the artist : 2017/1/14(土) 18:00~20:00

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