音楽はなぜ僕らを動かすのか (後編)

CULTURE  2016.12.17  FNMNL編集部

前回は、人がどのような音楽に合わせて踊りたくなるかが生まれ育った文化的背景に影響されること、いっぽうで文化に関係なく踊りやすい音楽には「ビートがはっきりしている」などの共通の特徴があることについて述べた。

今回は、動物たちの「踊り」、そしてドラッグを手がかりに、音楽が動きを誘うメカニズムについて考えてみたい。

by ヨリタム

音楽にノって踊る能力は、長いあいだヒトの専売特許だと思われていた。曲芸などで「踊る」動物はいるが、それらはすべて飼い主にあやつられていたり、あらかじめ決まったリズムで動いているだけで、音楽のビートを自分で見つけてノれるわけではない、と考えられていた。

2008年、スノーボールという名の一羽のオウムの登場によって、この通説はくつがえされた。彼がバックストリート・ボーイズのヒット曲「Everybody」に合わせて激しくヘッドバングする動画は一躍有名になり、タフツ大学の神経科学者アニルド・パテル博士の目にもとまった。

 

パテル博士らがさっそく飼い主に実験を申し込み、「Everybody」のテンポをさまざまに変えてスノーボールに聴かせてみたところ、スノーボールはテンポが変わっても自分で曲のビートを見つけなおし、自らの動きを合わせられることが判明した。((ビートを追う精度はヒトの幼児と同じくらいで、微妙にずれることもあるのだが、それでも偶然できているにしては動きのタイミングがビートに合いすぎていた。なお、その後の調査で、スノーボール以外のオウムや近縁の鳥たちも音楽に合わせて踊れることが明らかになった。))

パテル博士らは、「声マネが得意」というヒトとオウムの共通点こそ、音楽にノれるための条件なのではないか、と考えた。これはあながち荒唐無稽なアイデアではない。確かに、声マネも踊りも、耳で聞いた音(声、または音楽)に自分の身体(発声器官、または全身)の動きを合わせなければいけない、という点は似ている。他の鳥や人の声をマネするために発達した脳の回路が、踊りにも使えたとしても不思議ではないのだ。

エモリー大学のピーター・クック博士らは異議を唱える。クック博士らは、本当に声マネの能力が音楽にノるのに必要かどうかを検証するため、アシカのロナンに「Everybody」を聞かせた。アシカは声マネができない動物なので、もしロナンがこの曲にノることができたら、声マネの能力がなくても音楽にノることは可能、ということになる。はたして、ロナンははじめこそ戸惑っていたものの、ビートに合わせて頭を動かせばエサがもらえることが分かると、いとも簡単にノってみせた。もちろん、テンポや曲を変えてもバッチリだ(彼女のお気に入りはアース・ウィンド・アンド・ファイヤーだ)。

 

周囲のリズムに自分の動きのタイミングを合わせる(これを「同期」とよぶ)、という能力自体は自然界ではめずらしくない、とクック博士らは指摘する。たとえば、一部の種類のホタルには、周りのホタルの点滅に自分の点滅を同期させる習性がある。

 

動物の脳は大まかには、聴覚や視覚などの「感覚入力」を処理する回路と、手足の動きなどの「運動出力」を制御する回路、そしてそれらをつなぐ回路に分けることができる。特定の周期的な感覚入力(たとえばホタルなら、周囲の点滅)に特定の周期的な運動出力(たとえば自分の点滅)を同期させるだけなら、「その」入力を処理する神経回路を、「その」出力を制御する神経回路につなげればいい。

17世紀にオランダの物理学者ホイヘンスが発見したように、振り子時計は壁や台を通じて互いに振動を伝え合うことで近くの振り子時計と同期する。これと同じ原理で、周期的に活動する神経回路同士は、適切な条件でつながりさえすれば同期できるのだ。しかし、いろいろなリズムにノっていろいろな動きをするためには、入出力をつなぐ回路がもっとフレキシブルである必要がある。

ホタルの習性が私たちの踊りとちがうのは、「周囲の光の点滅」という感覚入力と、「自分の点滅」という運動出力がガチガチに決まっていることだ。私たちの知るかぎり、ホタルは特定の周期をもつ光の点滅以外の入力(たとえば音楽)に合わせて点滅することも、点滅以外の出力(たとえば足の動き)を選ぶこともできない(注2)。((実はホタルのような昆虫の脳にも、「キノコ体」という名前の部位があり、「オクトパミン」というドーパミンによく似た物質を使って、私たちの線条体(本文参照)と似たようなはたらきをしているといわれている。もしかしたら、適切なごほうびを与えれば、ホタルだって音楽に合わせて点滅することができるのかもしれない(?)。))

いっぽうスノーボールたちは私たちと同じようにレディー・ガガでもマイケル・ジャクソンでも踊れるし、ヘッドバングするだけでなくステップだって踏める。結局、「音楽」という、バラエティーに富んだ入力についていけるかどうかは、その動物が感覚入力と運動出力の対応関係をどれだけフレキシブルに変えられるかにかかっている、とクック博士らはいう。実際に、オウムもアシカも私たちヒトも、いろいろな芸を学ぶことのできる「フレキシブル」な脳をもった動物だ。

ここで二つの疑問が残る。一つは、私たちやスノーボールやロナンは「音楽」という感覚入力と「踊り」という運動出力をどうやってつないでいるのか?というものだ。「フレキシブルな何か」、というだけではあまり納得のいく答えではない。そしてもう一つは、そもそもなぜ「ノリのいい音楽」と「踊り」がつながりやすいのか――言いかえれば、私たちがダンス・ミュージックを聴くと「踊りたい」と思うのはなぜか?というものである。

どちらの謎を解くカギも、ドラッグ――特に、俗に「アッパー」とも呼ばれ、注意力やモチベーションを高める、「刺激薬」というタイプのドラッグ――に隠されている、と私は考える。

刺激薬は、直接的または間接的に、脳内で放出される「ドーパミン」という神経伝達物質の量を増やしたり、その働きを強めたりするドラッグで、アンフェタミン(「覚醒剤」ともよばれる)やコカインなどが有名だ。脊髄から伸びる脳の付け根に位置する中脳には、ドーパミンを放出する神経細胞(ドーパミン・ニューロン)のかたまりがある。これらの神経細胞はおもに、脳の奥深くにひそむ一対のエイリアンのような形をした「線条体」とよばれる部位にドーパミンを送り込んでいる(注3)。((中脳のドーパミン・ニューロンは線条体の他にも、大脳皮質の「前頭葉」という部位などにもドーパミンを送り込んでいる。刺激薬が注意力を高める効果には、これらの部位に放出されるドーパミンも関わっている。また、今回の記事では詳しくふれられなかったが、前頭葉は、いろいろな運動出力と感覚入力をフレキシブルにつなぐのに、線条体とならんで重要な役割をはたしている。私たちが他の動物たちよりも簡単に踊れるのは、おそらく私たちの 前頭葉が抜きん出て発達していることとも関係しているだろう。))

Gif
ヒトの中脳と線条体。薄い水色に塗られた部分が線条体で、その下の濃い水色の部分が中脳だ。中脳の中に見える黒い部分は「黒質」とよばれ、たくさんのドーパミン・ニューロンが含まれている。この図には示していないが、左右の黒質の間のあたりにも、ドーパミン・ニューロンのかたまりがもうひとつあり、線条体のお腹側の部分につながっている。 (BodyParts3D、 Copyright © 2008 ライフサイエンス統合データベースセンター  licensed by CC表示-継承2.1 日本)

線条体のはたらきは完全には解明されていないが、ひとつの有力な仮説は、私たちが行動を選ぶためのスイッチのような役割を果たしている、というものだ。行動を選ぶということはつまり、適切な入力と出力をつなげる、ということだ。線条体にはいろいろな感覚入力と運動出力がつながっているので、間のスイッチ次第でいろいろな入出力をつなげられる。そして、ドーパミンはこのスイッチ回路を制御していると考えられている。

具体的には、いいことがあった時(注3)――たとえば、誰かに服装をほめられた時――私たちの中脳のドーパミン・ニューロンは活発になり、線条体にいっせいにドーパミンを放出する。すると、線条体のスイッチ回路に変化がおこり、ドーパミンの放出を引き起こした行動が選ばれやすくなる。その服を着た時に線条体にドーパミンが放出されたおかげで、「その服」という入力と「着る」という出力のつながりが強化され、結果として私たちは「今度からもっとこの服を着たい」と思うことになるのだ。

反対に、誰かに「ダサい」といわれるなど、悪いことがあった時はドーパミンが一時的に放出されなくなり((より正確には、ドーパミンが急激に放出されるのは、「予想以上にいいこと」があった時であり、ドーパミンの放出が止まるのは、「予想以上に悪いこと」があった時である。))、線条体の回路がまた変化する。そして、悪い結果につながった行動が選ばれにくくなる。このように、いい結果(「報酬」という)につながる行動を選び、悪い結果(「罰」という)につながる行動を避けるように学習することを、心理学用語で「オペラント条件づけ」という。((ドーパミンの放出がどんな時に止まるかについては、実は諸説あって、まだ完全に決着がついていない。 痛い時にドーパミンが放出される場合もあり、「予想以上に悪いこと」が起きた時ではなく、「予想ほどいいこと」が起きなかったとき、つまり「がっかりした」時にだけ止まるのだ、という説もある。))

一つめの疑問、「音楽と踊りはどうやってつながっているか」への答えの少なくとも一部は、どうやらここにありそうだ。
アシカのロナンは、そうすれば好物の魚がもらえることが分かって初めて「踊る」ようになった。これはオペラント条件づけそのものだ。オウムのスノーボールが「踊り」を覚えた経緯は不明だが、たまたま音楽に合わせて動いたときに飼い主にほめられて、味をしめたのかもしれない(オウムは社会的な動物であり、飼い主にほめられることをよろこぶという)。

ヒトは一見、ごほうびがなくても踊れるように見えるが、考えてみれば、私たちは生まれてからずっと音楽に対する条件づけをされているようなものだ。子供の頃は、音楽にうまく合わせて踊れたら大人たちがほめてくれるし、大人になっても、踊りのうまい人は尊敬されたりモテたりする。
いずれの例でも、音楽が鳴ったら踊る、という行動に対してドーパミンが放出されているうちに、音楽という入力と踊りという出力が線条体の回路でガッチリと結びついたのだろう。そう考えれば、(前編でふれたように)自分の慣れ親しんだ音楽のほうが踊りやすいこともつじつまが合う。

二つ目の「なぜダンス・ミュージックと踊りがつながるのか」という疑問にしたって、単に私たちが思春期の同調圧力の中でそう学習したから、と答えることもできるかもしれない。踊りやすい音楽に人類共通の特徴があることも、それが共通の先祖から代々繰り返されてきた条件づけの結果でないと完全には言い切れない。
でも、本当に音楽と踊りをつないでいるものは条件づけだけなのだろうか?

次ページ: 音楽はなぜ僕らを動かすのか

あわせて読みたい

MUSIC

FASHION

CULTURE