『ヒップホップコリア』の著者が語る韓国ヒップホップへの愛と情熱

- 韓国の音楽にハマるきっかけはなんだったんですか?

鳥居咲子 - 韓国の音楽にハマったのは2011年で、お正月に『IRIS』ってドラマをやってて、それにBIGBANGのT.O.Pが出てたんですね。そのあと韓流の雑誌を読んでたら、T.O.Pのインタビューが載っていたんですよ。『IRIS』に出てた人だ、アイドルのラッパーだったんだって知って、そのときにアイドルでラッパーってどうなの?って思ってインタビューを読んだんですよ。

そしたらすごい音楽的なところをちゃんと語ってて、あれちょっと面白いなって思ったんですよね。それでYoutubeでT.O.Pのソロの"Turn It Up"って曲を聴いたら、すごいかっこよくてびっくりしたんですよね。音もかっこいいし、ラップも何を言ってるかはわからないけどいい、ビジュアル的にも彼自身がかっこいいというのもあるし、映像自体が白黒でダンサーのコンセプトとか、思ってたのと違う洗練されたかっこよさがあって。びっくりしてGD&T.O.Pがちょうどアルバムがでた頃だったんで、買ったらまた衝撃的で、それでBIGBANGを聞くようになったって感じですね。

 

- それまでの鳥居さんのなかで洗練されたものっていうのはイギリスとかアメリカの音楽だったわけですよね。

鳥居咲子 - そうですね、正直アジアに自分の納得出来る音楽があるとは思ってなかったっていうか(笑)聴きもしないで何を言うって感じなんですけど、一生のうちに聴ける音楽の数も限られてるじゃないですか、私は気に入った曲をずっとリピートしちゃうタイプなので、だからあんまり趣味を手広くしたい方でもないんですよ。だからイギリスとアメリカや北欧に聴きたい音楽はたくさんあるし、アジアの音楽は一生聞くことないなって思ってたんですよ。それが覆されて衝撃でしたね。それまでアイドルに注目もしたことなかったんですよ。

でもBIGBANGのミュージックビデオとかみるとエンターテインメント要素が詰まってて楽しいじゃないですか。私は音楽にエンタメ要素とか求めたことがなくて、音楽性しか求めてなかったんで、ミュージックビデオを見て楽しいっていうのがすごい新鮮で。ちょうど震災の時期で、家が計画停電のエリア内で、何もできないからiPodに入れたBIGBANGの曲を聴いて過ごしたっていうのもあって、そこからドップリハマりましたね。音楽的にはBIGBANGよりGD&T.O.Pの方が好きで、それまでは本当に全然ヒップホップは好きじゃなかったのに、T.O.Pの曲を聴いたときに韓国語のラップの音の響きが面白いなって思ったんですよね。だから韓国語のラップを聴かなかったらラップ自体にも興味がないままだと思いますね。

- そこからどうやって韓国のヒップホップシーンを知っていったんですか?

鳥居咲子 - その後はBIGBANGから始まって、同じ事務所の2NE1を聴いて、PSYも聴いてYGのファミリーコンサートにも行ってって感じでした。同時にSupreme Teamを韓流好きの友達から教えてもらって、ハマって聴いてたんですけどSupreme Teamは曲は知ってるけど、顔は全然わからなかったんですね。でもBIGBANGはエンタメ要素があって、バラエティー番組とかも出てるから5人それぞれに人として興味を持つ感じになって、どうしてもそうすると、BIGBANGの方が比重が高くなるんですよね。それでBIGBANG専門のblogも始めて。blogは好きになった途端に、この思いを書きたいと思って始めて、誰も読まないだろうと思ってたんですけど、そのときにblogを本名でやるのが抵抗があったんでヴィヴィアンってあだ名もつけて。名前はどうしようかなと思ったときに、ふっと目についたヴィヴィアン・ウェストウッドのカバンからとって。本当に何も考えてなくて後になってなんでこんなゴージャスな名前にしたんだって。ヴィヴィアンさんって呼ばれるたびに本当に恥ずかしいんですよね(笑)。

それでちょっとずつ書いていったら読者も増えてTwitterのBIGBANGアカウントのフォロワーもピークのときで8000人位いました。それだけBIGBANGのファンダムが大きいというか、その中で音楽的なことを書いていたblogがそんなに多くなかったんで。サンプリングのことを書いたりとか、他の洋楽と比較しながら書いたりとかもしてたんで、多分そこが新しかったのかなって思いますね。そうこうしてたら、その年にTABLO(Epik Highの中心メンバー)がYGに入ってきたんですよ。とりあえずBIGBANGと同じ事務所に入ってきたから聞くじゃないですか。アルバムがすごい良くて、フィーチャリングされているラッパーとかにも興味を持って。それでSupreme Teamのアルバムのトラックリストも、良く見たらTABLOいたみたいな感じで、どんどんフィーチャリングされている人を聴いていったら、そこでまた見覚えある名前を見つけたりして、やってるうちに沼ですよ、ふふふ(笑)

- ちなみに韓国語は旅行とかに行ってる時点からすでにできていたんですか?

鳥居咲子 - 全くできないです、挨拶くらいしかできなくて。BIGBANGにハマってからも、BIGBANGの情報って日本語でも出てるんで、それで十分に楽しめてて。アンダーグラウンドのヒップホップを聴くようになってからですね。アンダーグラウンドヒップホップの情報は日本語だとどこにも情報がないから、Google翻訳に頼るしかなくて、それで1年くらい徐々に学習していって、限界を感じてマンツーマンレッスンを受け始めたのが2013年ですかね。初めてのレッスンに行ったときに、1冊目の教科書終わってますねって言われて。それくらい必死さが半端じゃないんで、歌詞の意味わかりたい、インタビューの意味わかりたいって思いがすごくて。その前にイタリア語とかを頑張って勉強してたんですけど、全然伸びなかったんですよ。でもやっぱり目的があると覚えられるもんだなと。

2011年にBIGBANGにハマって、その年の終わりにTABLOがYGに入って、2012年になるとどんどん掘り下げてって感じになって。まず最初はわかりやすいところからで、Amoeba Culture(韓国ヒップホップシーンのトップレーベル、Dynamic DuoやPrimary、Crushも所属)からですよね。Dynamic Duoとか、そのうちPrimaryが名作と言われるアルバムを出したんで、それに参加した人をどんどん掘り下げていって、翌年韓国語を習い始めてAmoeba Cultureの韓国のコンサートにも行きって感じでハマっていって、その年に初めて不汗黨 (ブランダン 韓国ヒップホップ第一世代と言われる重要MCなどが集まったクルー)のライブをやることになるんですよね。

 

だから展開がいきなり早いんですよね(笑)やろうと思ったら動いちゃうんで。イギリスで音楽ビジネスも勉強していましたし、自分のライブを日本でやったこともあったんですよ。でも主催側として、イベントを開催したこともなかったし、音楽業界も離れて10年くらい経っていたんで。ライブをやるきっかけは、たまたま不汗黨のメンバーの知り合いという人と知り合って、連絡は本人たちとつくから、準備だけやればいいんでしょと思ったんですね。会社にリサーチ部署があるんですけど、そこの人に東京のライブハウスを職権乱用して調べてもらって(笑)それで1件、1件見当をつけて。

最初は私の認識も甘くて、とりあえず200人くらいすぐ来る気がすると思って、250人キャパのところを借り、フライヤーも自分で作って新大久保から渋谷まで自分で配ったんですよね。さっきも言ったTwitterでいろんな人に声をかけまくり、韓国ヒップホップとかblogのキーワードに入ってる人にもメッセージを送ったりしたんですけど、チケットが全然売れなかったんです。ただ私は韓国のヒップホップのライブが日本であったらいいなと思ったんですけど、絶対そんなのはないから自分でやるしかないと思ったんですよね。本当に深く考えないで始めたんで、こんなにチケットが売れないって思わなくて、どうしようって。途中から準備でキツくて胃も壊して病院も通って。飛行機代も10何人分だしているし、ライブハウス借りるのにも何十万だし、わーみたいな(笑)とりあえず会社の同僚にチケットを買ってもらって来てもらい、あと親戚ですよ。従姉妹とか叔母、それに叔母の友達とか。あとは自分の普通の友達ですね。

- でもそのときはフォロワーもたくさんいたBIGBANGのアカウントがあったわけじゃないですか。

鳥居咲子 - そうなんですよ、そこでもすごく宣伝したんですよ。BIGBANGに関連付けて宣伝したりしたんですけど、ビックリするくらい無反応で(笑)。直接メッセージでお願いしたりして、数人は遊びにきてくれました。結局当日は120人集まったんですけど、120人のうち30~40人が私の同僚とか親戚、友達とかで、普通にチケット買ってくれたのは70~80人くらいでしたね。200人くらい来ると思ってやっているので、大赤字ですよね。もっと赤字になるかなと思ってたんですけど、最終的に赤字は20~30万くらい。会社フルタイムで働きながらだし、休みはいろんなところを周ったり機材をレンタルしたり、ものすごい労力を費やしているのにと思ったら、へこたれそうになったんですけど、へこたれなかったんですよね。次頑張ろうと思って。

次はもうちょっとお客さんが来る人を呼びたい、でもそんな人を私が個人で呼んでも来てくれるはずもないし、どうしようかなって。そしたらDok2とThe Quiettが急に来日してクラブでライブをしたんですよね。突然発表があってしかも日曜日の夜中だったんですけど、中々観れる機会もないから有休とって行ったんですよ。ライブが終わって、お店を出たら目の前に本人たちがいて、韓国語の先生と一緒に行ってたんで、通訳してもらって、「去年不汗黨のライブをやったんですけど、私と一緒に単独ライブをやりませんか」って突然頼んだんですよ。そしたらとりあえず「ああ、お願いします」って一応返事をされて。そのとき名刺もなかったんで、財布に入っていたレシートの裏に連絡先を書いて、Quiettさんに連絡してくださいねって渡して、その時は別れたんですね。でも連絡なんて来るはずもないから、どうやろうかって思ってたんですよね。そしたら翌日に偶然知り合いの方がQuiettさんと会ってたみたいなんですよね。それでその方が私のサキコって友達もあなたたちのライブに行ったみたいなんだよねって話したらしくて、そしたらQuiettが私が渡した連絡先書いたレシートを出して名前が一致して。それでその方から連絡が来て、私はQuiettさんに連絡するように念をおしておいてくださいって頼んだら実際に連絡がきたんですよ。それで改めてやりませんかって頼んだんですよね。

 

同じタイミングでHi-LIte(Hi-Lite RecordsはPaloaltoが主宰する韓国アンダーグラウンドシーンの重要レーベル、Huckleberry PやReddyが所属)のライブがやりたかったんで、Hi-Liteの公開されているアドレスに日本でライブをしませんかってメールを送ってたんです。返事なんて来るわけないだろうなって感覚で送ったんですけど、そしたらぜひみたいな返事がきたんですよ。え?!ってビックリして、ちょうどその時韓国で行きたいライブがあったんで、Hi-Lite側にじゃあ会ってくれませんかって頼んだら事務所に来てくださいってなったんですね。そのときQuiettさんとも偶然会えることになって、両者と一気に話ができたんですね。

当時はあまり韓国語ができなくて1人でパニック状態で、フィーリングでしゃべったって感じでしたね。Quiettのときはマンツーマンだったし、なんとかしなきゃってことで奇跡的に乗り越えたんですけど、Hi-Liteには英語で喋れる通訳の人を用意してくださいって頼んでたんですね。そしたら通訳としてラッパーのB-Freeが現れて、さらにびっくりしましたね。その後に主宰のPaloaltoが現れたんですよ。スタッフと通訳としか会わないつもりだったのに好きなアーティストがきたんで、すごい緊張してせっかく作った企画書も渡しそびれたんですけど、無事終えることができて。

 

それで日本に帰ってきてからHi-Liteが夏、Dok2とQuiettを秋に同時進行で準備を進めて。その時はDok2とQuiettが『Show Me The Money』に出ていなかったんで、200人規模のところで進めていたんですけど、準備中に『Show Me The Money』に出て人気が爆発しちゃって、チケットが即完売になっちゃったんですよね。なので利益も出て、ギャラもちゃんと渡せて、良かったなっていう。Hi-Liteはちょっと苦戦してチケット売れなくて赤字を叩き出してたんですけど、これはキツいぞって思ってたんですよね。でもそんな頃に菊地成孔さんと知り合うんですよね。きっかけはTwitterのフォロワーさんが昨日菊地さんがラジオで私の話をしてたって教えてくれて。そんな馬鹿な話はないだろうと思ってPodcastを聞いたんですよね。そしたら本当に私のことで、菊地さんが連絡を取りたいんだけど、連絡先が載ってないんですよって言っていて。だからとりあえずTBSラジオにメールを書いたんですよね。そしたら菊地さんからすぐにメールがきて、番組に出てくださいって言われてちょうどHi-Liteのライブ1週間前に『菊地成孔の粋な夜電波』に出演できたんですよね。そしたら放送後にチケットが30枚くらい売れて、赤字は解消できたんですよ。だからやっとそこで軌道に乗れたんですよね。

1人でやってるから、コストはかからないし自分が寝る時間さえ削ればいいので、準備中は基本寝ないですよね。土日はライブの準備に1日費やすから、友達にも会えないし、ひたすら私はこうやってセカセカ動きながら生きて死んでいくのか、これは私が望んでいた生活じゃないと段々思って、2015年は会社に相談して働く時間を減らしてもらったんですよね。私も会社でベテランだったんで、割ということを聞いてもらえてそれでなんとか時間を確保できるようになったんですけど、2015年はライブを3本やることになって結局忙しかったんですよね。Dok2とQuiettとHi-Liteをまたやって、それにSpeaking Trumpet(NuckやD.Theoなどベテランラッパーが2007年に結成したクルー)の3つでどれも結構な規模で。それでもう無理ってなって、会社を辞めたんですよね。もちろん会社が収入源なんで、収入源がなくなっちゃうんですけど、こんな生活やってても全部が中途半端だし数年貯金を削りながらでも、思い切りやりたいことだけをやって、数年後また考えようと思ったんですよ。それでライブをやりつつ、サイトも運営してネットショップもやってって形でやろうとした、そのタイミングで本を書きませんかって話をもらったんですよね。それで半年間ずっと本を書いてましたね。

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